今日は変な組み合わせの写真になってしまいました。ご容赦下さい。
左側は、私がこの一月半余り転写しております、メリル・C・テニーの本です。わずか100円の昭和37年(1962年)発行の、見るからにくたびれた本です。今ではメリル・C・テニーという人物を知る人も少ないでしょう。その上に、この『キリストの復活』という本をどなたが翻訳されたのかも「いのちのことば社出版部」と明示されてはいますが、個人名は省かれております。おおよそどなたが翻訳者なのか何となく見当はつくのですが。なのに、私はこの本を今から54年前、昭和45年(1970年)に手に入れていながら、しっかりと読んだ覚えがありませんでした。それで、今年のイースター(復活祭)の日から今日まで、一念発起して、いちいち転写して参りました。四月一日以降のブログはその成果です。
一方、右側は明治年代に、私から見ると「祖父」の代にあたる人物が18歳の時、横浜で丁稚として働いていたのでしょうか、その時彼にはこの本は高嶺の花だったのかもしれません、向上心よろしく『福翁百話』を墨筆で和紙に写し取っていました。いつの頃か、この和綴の冊子を倉の中に見つけた時、私はそのようなものが家にあることに驚くとともに、明治年間の福澤諭吉に対する庶民にまで及ぶ熱意と明治時代の息吹を感じたものです。
それが根底にあるのでしょう。私には転写は苦にはならないのです。今回、『キリストの復活』を転写して、私には大いなる財産になりました。著作は初めから終わりまでしっかり読まないとその本に対する正当な評価はできないと常々思うことにしています。メリル・C・テニーはこの本で、全部で8章に分けて、「復活」という私たちにとって最も大切な事柄を微に入り細に入り多方面から全聖書を縦覧して述べております。残念ながら、私の短慮で第二章の「復活の予測」というテーマの文章を全部割愛してしまいましたので、今日から三日間で転写したいと思います。引き続き忍耐をもってお読みいただければ感謝です。ご存知、最初は、エマオの途上での出来事から始まります(ルカの福音書24章13節以下の記事)。
キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり・・・(新約聖書 ルカ24章46節)
あの十字架刑の行なわれた次の週の最初の日、ふたりの旅人が、エルサレムからエマオに向かって、いかにも疲れきったような、重々しい歩みを続けていた。昼下がりの太陽がじりじりと照りつけ、ふたりは、ひどく意気阻喪しているように見えた。先週、事態があまりにも唐突に変転し、また現に、彼らの感情があまりにも高ぶっていたので、彼らは、そのときもうひとりの人が加わり、自分たちと歩みをともにしているということにさえ、気づかないありさまであった。ふたりは、その人から、彼らの話題について尋ねられたとき、ぎくりとしたかのように立ち止まった。その人が、エルサレムで起こったばかりのできごとについて、知らないはずはない、と思ったからである。
その人が同情的に見えたので、ふたりは、胸の中の思いを彼にぶちまけて話した。それは、ナザレのイエスが、彼らの指導者、また友人であったということについてであった。彼はその行ないのゆえに、すべての民に歓呼の声をもって迎えられた預言者であった。それなのに、役人たちは彼を死に定め、十字架につけてしまったのである。彼らの失望の激しさと、やるせない気持ちとは、「私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました」(ルカ24:21)という言葉に、如実に物語られていた。彼らは、この人こそメシヤであり、彼らの国に霊的政治的な解放をもたらす救い手にちがいないと、期待をかけていたのであるが、十字架は、すべての希望を水泡に帰させてしまったのである。十字架につけられてしまっては、預言者といえども、何をなしえようか。そればかりでなく、預言者たちの描いている、鉄のつえをもって諸国を治め、陶器師の器のように彼らを打ち砕くと言われるメシヤ像に、どうしてかなうと言えようか。彼の最後は、どんな点からも、預言の描写と似合わず、彼らは、自分たちの誤解を認めざるを得なかったのである。
ふたりはもちろん、墓に行った何人かの女たちが、イエスは生きておられると告げた天使たちの幻を見たと言っていることを知っていた。この証言を彼らがどう思ったかは、「イエスさまは見当たらなかった」と言う、きつい言葉で明らかである。この言葉は、このふたりに復活を確信させるには、人づての証拠以上のものが必要であるということを意味している。彼らは、イエスはすでに死に、その最後は、彼が待望されていたメシヤ預言の成就であるという事実を排除するものであると、堅く信じていたのである。
だが、この見知らぬ人は、彼らの見解には同調せず、かえって、きびしく彼らを戒めた。
ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。(ルカ24:25〜26)
それから、モーセをはじめ、すべての預言者の、キリストについての聖書の預言を、ふたりに説明した。この説明の中に復活のことも含められていたことは、主イエスが次の機会になさった宣言によってはっきりしている。
「わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず全部成就するということでした。」そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。「次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、・・・」(ルカ24:44〜46)
このふたりを絶望に陥れていたあやまちは、聖書の預言の不十分な理解にあった。彼らが見ていたのは、メシヤが栄光のうちに来られるという事実だけであった。彼らは完全に、メシヤの受難と復活とに関する預言を見落としていたのである。このとき主イエスが試みられた話は、彼をメシヤとして信じようとした彼らの根拠を破壊するかに見えた一連の騒乱が、実に、預言の言葉の正確な成就である、ということを彼らに悟らせ、彼らの心を再び落ち着かせようとしたものである。
イエスがそのとき説明された聖書の個所がどこであるかは、知られていない。特に、復活の預言として旧約聖書のどこが使用されたのかは、全く私たちの推測に任されている。だいたい、ユダヤの聖書には、このような現象に直接言及した個所が、ごくわずかしかない。そしてそれを教えている典型的な例で、ここに当てはめられるような個所は、確信をもってこれと言えるものがないのである。しかし、そうは言っても、主イエスは、「キリスト」という用語を用いて、明確に、復活の預言はメシヤ預言に関係あるものであるとされた。私たちは、きたりたもうかたに関する預言の系列の中に、復活の、少なくともある暗示はあるものと思わなければならないのである。更に、「四十日」間になされた主の教えが、後日使徒たちがした教えの中に反映されているであろうということも、十分に考えうることである。そうだとすれば、旧約聖書のメシヤ預言を、新約聖書でメシヤが語られた説教と関連させてゆくことにより、旧約聖書の中で復活に関係のある個所は、しだいに知られてくると思われる。
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