このところ古利根川散策は日参です。今日もいそいそと出かけました。お目当てがあるからです。それは水田にすっかり居着いた感のある鴨の安否を確かめるためです。十日間、毎日同じところに居ては、せっせと水田に首を突っ込んで這いずりまわっているのです。二、三日前には、お仲間が登場しました。もう一組の鴨さんです。それだけでなく、椋鳥までが数匹加わりました。一反歩もある水田でしょうか、秋にはたわわに稔り、私たちにとって大切な米となるのに、苗の段階で、すでに鳥たちの格好の餌場となっているようです。
私たちだけでなく、興味を示す方もおられました。その方たちは彼らのエサなるものの実体を掴まれたようで、水田内に動く小さな生き物を不思議そうに覗き込んでおられました。魚のようでもあるし、おたまじゃくしのような気もします。そんなこともあって、期待をもって今日も出かけましたが、いませんでした。察するに、水田の持ち主が水を落とされたようで、これでは鴨もお手上げになったのではないでしょうか。残念な気がしましたが、持ち主にしてみれば気が気じゃなかった十日間だったと思います。
一方で、今日は雨の予想が大々的になされたので、散策する人は私たち以外にほとんど姿を見かけませんでした。そのような中でも、河岸にはたくさんの小鳥が姿は見せねど、草地に潜んで絶えずあちらからこちらからと囀りを繰り返しています。こんなにもたくさん小鳥たちがいるんだと心豊かにさせられた思いがしました。そして、見渡す限りの草花の上を、ひらひらと自由に舞って行くのは蝶々です。モンシロチョウが飛びまわる姿を見るとどうしてあんな小さな体で飛んでいくエネルギーがあるのかと感心させられます。そんな時、一対の蝶々が、クローバーの白いぼんぼりのような花にとまって、せっせと蜜を吸っていました。今日の写真はそれです。
でも、以前にもこのような写真を載せて、一人で感に入っていた自分がいたような気がします。変わらざる自然の営みなんですね。
主は心の打ち砕かれた者をいやし
彼らの傷を包む。
主は星の数を数え、
そのすべてに名をつける。
神は雲で天をおおい
地のために雨を備え、
また、山々に草を生えさせ、
獣に、また、鳴く烏の子に
食物を与える方。
われらの主は偉大であり、力に富み、
その英知は測りがたい。
主は心の貧しい者をささえ、
悪者を地面に引き降ろす。
(旧約聖書 詩篇147篇3〜4節、8〜9節、5〜6節)
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