いつのまにか、四月が過ぎ、五月もあっと言う間に、10日ほど経ってしまいました。この間、ブログからすっかり遠ざかってしまいました。決して書くことがなかったわけではありませんが、中々文章を公開するまでには至りませんでした。
昨日は雨でしたが、買い物に出かけたスーパーの入り口付近で、滑って転んでしまいました。どのようにして転んだのか、今もってわからず仕舞いです。同行者の家内に聞いてもよく分からないと言いますし、もはや家内は2分前のことは覚えていず、しばらく経って「滑って転んだんだよ」と言っても、もう記憶には無いようです。まして、側にいたのだからどのように倒れたか、客観的にわかるであろうと水を向けても、取り付く島もありませんでした。幸い、膝を強く打っただけで、いわゆる「打ち身」の症状で済みましたが・・・。
よく、ご老人が階段から落ちて怪我したとか、転んで大腿骨骨折したとか聞きますが、いよいよ自分にもその番が回ってきたようです。考えてみれば、、5、6年前にはバスから降りる時、足がついて行かず、縁石に顎をぶっつけ顎骨折という大怪我を経験しましたし、その後も夜道の暗がりに蹴躓いて倒れ、その時は唇を切ってしまいました。また雨の日に歩いていてコンクリート面が滑りやすくなっていて、そのまま、滑って尻餅をついたこともありました。
昨日の些事はこうして都合、四回目になります。いよいよ家内も当てにならず、自分のことは自分で責任を持たねばならないと思わされました。もっとも一人ではなく、全能の主が背後ですべてご支配していて、導いて下さっているのですから、安心して主の道を歩みなさい、との御声を覚える者です。
今日の写真は野薔薇を載せました。古利根川の散策の中、河岸で目にした花です。花々に無知で不案内の私は、家内にいちいち「何の花?」と聞くのが常套手段です。すると、どうでしょうか。あれほど認知機能の衰えている家内は「野薔薇よ」と言って、早速「童(わらべ)は見たり、野なかの薔薇・・・」と歌ってくれました。私にとっては、昨日の出来事とは違ってまったくもって、もったいない伴走者と言わざるを得ませんでした。
時あたかも、昨日厚生労働省が発表したとおり、今後超高齢化社会の中で三人に一人が認知症を患うと予想しました。「認知症基本法」が1月に施行され、個人としても家族としても国としても待ったなしですね。
何日か前、吉本隆明さんの長女であるハルノ宵子(※1)さんの著作である『隆明だもの』を読みました。往年の吉本ファンであった私にとっては垂涎の書でありました。しかし、意外や意外、私にとっていま一番印象に残っているところは「ボケるんです!」という題名で父親隆明氏について触れている文章ですが、ついでに母親について述べた次のような件でした。同書88〜89頁より引用。
老人のボケは、一人ひとりまったく違う。がん細胞が、まったく千差万別なのと同じだ。他人と同じ過程をたどることは決してない。つまりエビデンスは、あくまでも参考でしかないのだ。母は元気な頃は、けっこうキツイ人で、父はよく「お母ちゃんは他人に優しく家族にはキビシイ」とこぼしていたが、ボケるにしたがって、角が取れてきたのは意外だった。もちろん1日のほとんどをボーッと眠りがちで過ごしていたし、2、3分前に言ったことを忘れたりはしていた。しかし、その場の会話は一応成立していた。一緒に動物番組などを観ていると「カワイイわね」と言ったり、深海生物には「あんな所に生まれなくて良かった」などと言っていた。かなり理想的なボケ方だったと思う。
もちろん、この引用は『隆明だもの』の本質部分を全部網羅しているわけではありません。しかし読者というものは、得てしていつも自分の問題に引き寄せて読むのではないでしょうか。逆に言うとそれに十分答えられる本が最良の本と言えるのではないでしょうか。そう言う意味では私の吉本観(※2)はこのお嬢さんの書かれた本でも崩れず、ますますそうだったのだと確信するばかりでした。
隆明氏亡き後、お嬢さんを通して、私どもの老後の世界にヒントとなることを垣間見させていただいたことは、私たち夫婦の今の有り様にとり、大いに益になりました。
※1 表現者を父に持った娘さんもまた表現者であることの複雑さがこの本には満ちていました。土台、この「ハルノ宵子」という筆名は、立派な父親を持つ娘さんの苦肉の策であったようです。何も知らない私は、何と人を喰ったペンネームとばかり思っていましたが、そこにはユーモアで受け流そうとする出発点がすでにあったようです。「春宵一刻価千金」という言葉があるようですが、「ハルノ」は「春の」に通じますし、「宵」とはまさに、その春と一緒になって「春宵」です。しかも「宵」は「よい」にも通じて、「よい子」です。日本語は何と融通無碍なんでしょうか。
※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_30.html
昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。(旧約聖書 申命記33章27節)
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