五月雨の 水たまり避け 散歩する |
これと言って何もない散歩ですが、今日は耳を澄ませる良い機会でした。先ずは川近くの草むらから、ふきゃガエルでしょうか、「グアー グアー」とはらわたに染み渡る、あの独特のバス(低音)を響かせていました。その一方普通のカエルが「ゲロゲロ」と鳴いているのには可愛ささえ覚えました。
圧巻は、鳥の囀りが、草むらや梢から、次々止むことなく聞こえてきたことです。前々日、歩いた折は、一切小鳥の鳴き声が聞こえず、どうしたのかなと思って心配していただけに嬉しくなりました。カエルもそうですが、小鳥に至っては、どんな小鳥か、姿がわからず、せめて鳴き声だけでもキャッチしたいと思い、さえずりのあとを追っては、思い切って小鳥と一緒に口ずさんでみました。そのうちに、忘れないうちにとメモに書き留めました。
キッキ キキョ キケキ キキッキキ
スイピー スイピー
と、だいたいこのような鳴き声があちこちから聞こえてくるのです。私が声を出すからと言って、飛び立つでもなく、逃げるのでもなく、相変わらず鳴きやまないで、さえずり続けています。まさに「田園交響楽」の世界ですね。
それにしても、ちょっとした水たまりでも濡れないで歩くのは私たちには難しいのに、小鳥たちはこの雨曝しの中どのようにして、草むらの中で過ごしているのか聞いてみたい気がしました。
ところで、今日こんな水たまりの写真を撮ろうとしたのは、他でもない朝読んだヨシュア記の記述に痛く感服していたからです。
ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。・・・その間に民は急いで渡った。(旧約聖書 ヨシュア紀4:7、10)
あなたがたの神、主は、あなたがたが渡ってしまうまで、あなたがたの前からヨルダン川の水をからしてくださった。ちょうど、あなたがたの神、主が葦の海になさったのと同じである。それを、私たちが渡り終わってしまうまで、私たちの前からからしてくださったのである。それは、地のすべての民が、主の御手の強いことを知り、あなたがたがいつも、あなたがたの神、主を恐れるためである。(ヨシュア記4:23〜24)
ナイル川も見たことありませんし、ましてやヨルダン川も見たことがありません。目の前の古利根川は五月雨のもと徐々に水量を増して行くことでしょう。そんな川の水がせきとめられるとは、大変なことです。ちょっとした水たまりでさえ、私たちは躊躇して、それ以上進めないじゃありませんか。
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