2016年6月14日火曜日

稀なる宝があなたに用意されている

わたしは甦りです 生命です わたしを信じる者は死んでも生きるのです※

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。(コロサイ2:3)

 そして主はこれらの宝をあなたに開かれるのです。善と寛容と忍耐の宝が私たちの罪と怒りと繰り返される強情に比例して無限の恵みとなって与えられるのです。それは今や私たちの貧しさに引き換え恵みのすばらしい宝、そしてあらゆる永遠をつらぬき栄光ある能力のすべての必要を満たして余りある栄光ある宝であります。

 主にあっては「すべてあなたがたのものです。」(1コリント3:22)信仰はこの無限の宝にとって鍵であり、私たちに信仰を与えて、主は私たちに宝に宝を与えてくださいます。主は私たちを「信仰に富む者」(ヤコブ2:5)とし、それから「信仰を増」(ルカ17:5)して「理解をもって豊かな全き確信に達」(コロサイ2:2)するように備えてくださるのです。

 この黄金の鍵を求めなさい。そしてそれから主が錠前に鍵を差し込めるように主の手にその鍵を置きなさい。

鍵は錠前に必要です
急いで間違いなく入るのに

視界から隠されている
複雑な鍵穴の突起のすべてに合い
他のどんなものも見つけたり動かせない
あらゆる秘密のバネを動かします

イエス様は魂にとってそうなのです

主の助ける力を
主は証明されます 


The Autobiography of Maria Vernon Graham Havergall 第4章1846〜1848(9)
1847年11月1日
 娘の一人が尋ねました。「お母さんはよくなりたいですか、それともそうなるように祈っていますか 」
 「いいえ、そのようには祈っていません。私はこれよりももっとひどい痛みに備えられるように祈っています。私には神様が私のために用意されていることはわかりません。でも神様が命令なさることは最善に違いない。全部まったく正しいし、あらゆる苦痛は私の善くなるためにあるのです。私は痛みにひるみません。もし痛みが神様のみこころなら、私はもっと耐えることができ、私に示されたひどいどんな試みも経験できるでしょう。忍耐は絶えず聖書に述べられているが、そのとおりに主の民には必要なことにちがいないからです。」
 その晩母は叫んだ「どんなに美しいことでしょう!」「美しいこのものはいったい何でしょう!」「シオンの丘、ワッツ博士の賛美歌『来たれ友よともにイエスの〈聖歌486番〉https://www.youtube.com/watch?v=TJ_C_tHbHh8』は私をたいへん幸せな思いにしてくれたの。それから私はずっとオークハンプトンの美しい庭のことを考えていたのよ。かわいい小さなミリアムのことを、それから黄金の通りをあの子と一緒に歩くことをどれだけ願ったか。そう、私は痛みの中でも幸せなの、救い主をまるで顔と顔を合わせるかのようにみておられるから。」

※火曜学び会は「霊的認知症にならないために」と題して申命記8:11〜14を引用聖句として、初めの愛を忘れることの危険性はじめ多くの症状が指摘され、そこから脱出する方策が明らかにされた。午後は知人のご主人の葬儀があった。「祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行く方がよい。」とは有名な旧約聖書伝道者7:2のみことばだったが、司会者の方は葬儀の締めくくりにこのみことばを引用された。集った者の共通の思いだった。そこには晴れ晴れしいご遺族、残された奥様、二人のお嬢さんからなる喜びに満ちた証しに、心の底からの涙があり笑いがあったからである。妻が救われ、夫が中々救われず悩むというパターンをこのご夫婦も経験された。しかし、ご主人は85歳にして死の間際に救われて天に召されなさった。祈りは聞かれた。家族が一つになって主をほめあげる、そのまたとない感謝なひとときに、私もお相伴にあずかった思いがした。)

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