2016年6月10日金曜日

The Unkept Pledge(祝福されない約束)

EXPOSITION Arrangement de HISA (Le Midi)※a

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。(黙示3・19)

 だが、あなたは、主の愛するこどもたちがいったん真実な心からする献身という祝福された道に入ったのに、そのうちの誰かがほんの少しでもわき道にそれるなら、必ず主は何らかの小さなこらしめを与えられることが主の奥義の一つであることを知っていましたか。主は、たとえどれほど隠されていたとしても、強い注意をせずに、もとに戻されることはなされないでしょう。

 あなたは、主に対していったん完全に銀と金を指し出したあとに、主にかまわずほんの少しでも過ごしてみなさい。そしてそのことに対して、何らかの形で叱責を受けないかどうか注意しなさい。あなたが犠牲をささげることがまちがっていたり、また何らかの方法でそれは神様が成功させるのではないことを気づかせるために許されたことだと知ることが多いのです。

 もしあなたがこれらのことを観察するなら、私たちが主とともにより密接に行動をともにすればするほど、私たちが主が召された全き献身から少しでもずれる時には、さらに主の憐れみ深い叱責は即座に間違うことなくなされることを知るでしょう。

 だからもしあなたがすでに私たちを個人的に取り扱われるこの面をすでに経験もし、認識しているなら、あなたは私たちがどれほど主に愛され祝福されているかもまた知ることでしょう。

確かに、試練があります
しかし、あなたの力は
試練を喜びでもって調整することができます

とげがあります
しかし、とげは私たちを狭き道に保ったのです
その道は王の聖さと平和の公道です

懲らしめがあります
しかし父の愛は懲らしめを通して流れるのです
いかなる信頼の心が
懲らしめを差し控えるでしょうか
愛を差し控えるでしょうか

だからあらゆる歩みが力から力へと
「ますます」導かれるのです
あなたにある旅人は
地上にあっても栄光から栄光へと 
次々導いてくださる主を讃え
讃美しながら通って行くのです 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/june-10-the-unkept-pledge/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97326です。今日の箇所も省略語があり訳出に困難を極めました。引き続き読者諸兄の適切な助言をお願いします。

The Autobiography of Maria Vernon Graham Havergall 第4章1846〜1848(5)
 母は前もって私たちの聖餐とカトリック教会で行なわれるextreme unction〈終油の儀式とを比較して言った。「extreme unctionはどんなに役に立つと言うのでしょうか。私にとっては私がキリストの中に完全にいることで十分です。輝く光の中に飾られていることばを見せていただくようです。『完了した。』(ヨハネ19・30)イエス様は私のために贖いのすべてのみわざを完了してくださったのです。」(何年も後に、こども〈であるフランシス〉は書いたのです。「『完了した。』ということばは永遠の中心です」と※b)
 ファニー〈訳注フランシスの愛称〉を呼んで、母は彼女にワンピースのドレスに着替えてくるように話しし、言った。「いとしいおまえよ、私たちが聖餐にあずかるのをよく見ているのよ。おまえが大きくなったら、そのことの意味を知り、心の内に恵みのおすそわけをいただけるのよ。おまえのお母さんが死にかけていた病室で最初に見たこのことを忘れてはいけないよ。聖餐はおまえの(罪)のために死なれたキリストの愛の象徴〈emblem〉なのよ。もちろんお母さんの(罪)のためにも死なれたのよ。」

※b 6月7日の本ブログの項目を参照のこと。偶然だけど、その日の詩でフランシス・リドレー・ハヴァガルはthe central word of eternity was uttered, "It is finished," と書いていた。まさしくこのことを姉Mariaは指してここで書いたものと思われる。

※a 火曜日、谷口幸三郎展の後訪れた、小林尚子さんの主催するLe Midiの展示の一部分。ここでは様々な珍しい「木の実」が所狭しと展示され、フランス・プロバンス地方を中心にオーナーである小林さんが採取された小道具をもとに創作された作品が展示されていた。展示は日曜日までである。Le Midiについては以下のサイトhttp://lemidi-jp.com/で場所などわかる。

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