2016年6月6日月曜日

またとないチャンス


そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。(マタイ25・10)
家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください。』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない。』と答えるでしょう。(ルカ13・25)

 もしあなたが今主のもとに来ないなら、差し迫った死以外にも、ちょうどそれと同じくらいてきめんにあなたがキリストのところに全然来られなくする事柄はたくさんあります。今日はあなたが主のもとに来ることができる最後の自由な時かも知れません。明日はその呼びかけはもはや緊急性がなくなり、他の事柄が入って来て、それを駄目にするかもしれません。そして悲しみにあふれた御霊はあなたが現在聞こうとする思いでさえ与えることを退け、やめるようになるでしょう。

 そのようにしてあなたはどんどん、そして益々遠くに安全な港から離れて漂流するようになります。その結果水平線の視界から見えなくなります。その時はもう余りにも遅過ぎてかじをもとにもどすことができないでしょう。流れが余りにも強すぎるのです。ついに死に至る病の嵐が来ると、あなたは自分が余りにも精神的にも肉体的にも弱く、自分が目ざめて聞くことすらできないこと、ましてや主のところに来ることができないことを知るのです。

 熱があり疲労困憊し心やからだが圧倒されている時、人は何ができますか。その危険を冒してはなりません。今来なさい。そうすれば、「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」(イザヤ1・18)のです。

あなたは主なしに何をしようとするのか
長い退屈な日  
それは悩みと混乱の日だ 
あなたはその道を知らない

他の誰もあなたを助けることができない
誰もあなたを正しく導けない

希望は朝とともにやって来ず
安息は夜とともにやって来ない

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/june-6-now-or-never/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97322です。

以下はハヴァガルの15歳年上の姉マライアが書き記した自叙伝であるが、その中に若くして召されたフランシス・リドレー・ハヴァガルのことが随所に書かれているので、少しずつ引用訳出することにする。
 
The Autobiography of Maria Vernon Graham Havergall 第4章1846〜1848(1)
 私の愛する母が病気の間、私はたくさんの注目すべきことや会話を記録しておいた。フランシス・リドレー・ハヴァガルの母として、これらの記録は確かに過去の忘却のうちにしまいこまれてはならない。それらは同じように恐ろしくも御し得ない病、「がん」の避け得ない苦痛に耐えるように召されている人の信仰と忍耐を力づけることになろう。大部のMSの本は今私の側にあるが、そのまま書き写すことはできない。私自身の手が疼き、今のうちに書くことはどんなことでも書き記すようにせかされ警告された。だからいくつかの抜粋を書き記すことにする。
 やさしい母の祈りと聖なる模範は私たちこどもにとって語り得ない祝福の泉であったと私は信ずる。そして今や第四世代が誕生しようとしているからには私たちの母ジェイン・ハヴァガルについて少しでも知ることも正しいと信ずる。私もまた4歳の時、書き消されることがない「やさしいジェインお母さん」に、一枚のガラス窓〈自分が割ってしまった〉を見せられたときには〈それは私がはじめて罪を意識したときであったが〉小ちゃな子どもにすぎなかったのだ。) 

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