2016年6月20日月曜日

豊けき尊さ

招く友 鉄砲百合の 奥にあり※

なぜなら、神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛されたからである。(ヨハネ3:16)

 どちらがより素晴らしいのでしょうか。そのような贈り物を遺贈した愛か、それともそのような愛によって遺贈された贈り物か。おー、その栄誉ある価値を認識することができますように。

 主の恵みによって、私たちの救い主として御子という神様の贈り物の何ほどかを知っている私たちが、日ごとに、主が油注がれたお方の贈り物の最高の尊さを、私たちの王として、ますます知ることができますように。

主とともに
おーそれはイエスとともにだ
いかなることばが
そのような祝福となろうか
イエスとともにある
永遠の喜び
永遠の安息

イエスとともに
あらゆる空しい心は
主の完全な愛で満たされた

イエスとともにある
地上にあっては完全な平安
天上にあっては完全な喜び 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/june-20-magnificently-precious/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97336です。

※日曜日お訪ねした友の庭。さて、昨日載せられなかった牧野富太郎の文章の続き・・・
            植物に感謝せよ(中)
 われら人間はまずわが生命を全うするのが社会に生存する第一義で、すなわち生命あってこそ人間に生まれ来し意義を全うし得るのである。生命なければまったく意義がなく、つまり石ころとなんのえらぶところがない。
 その生命をつないで、天命を終わるまで続かすにはまず第一に食物が必要だが、古来から人間がそれを必然的に要求するために植物から種々様々な食物が用意されている。チョット街を歩いても分かりまた山野を歩いても分かるように、街には米屋、雑穀屋、八百屋、果物屋、漬物屋、乾物屋などがすぐ見付かる、山野に出れば田と畠とが続き続いていろいろな食用植物がじつに見渡すかぎり作られて地面を埋めている。その耕作地外ではなお食用となる野草があり、菌類があり木の実もあれば草の実もある。眼を転ずれば海には海草があり淡水には水草があってみなわが生命をつなぐ食物を供給している。
 食物のほかにはさらに紡績、製紙、製油、製薬等の諸原料、また建築材料、器具材料などがあって吾人の衣食住に向かって限りない好資料を提供しているのである。そこで吾人はこれら無限の原料をよく有益に消化応用することによっていわゆる利用厚生の実を挙げ幸福を増進することを得るのである。
 人間のかく幸福ならんとすることは人間の要求で、またその永く生きて天命を終わることは天賦である。この天賦とこの要求とがよく一致並行してこそそこに始めて人間のこの世に生まれ出て来た真の意義がある、人間はなぜに長く生きていなければならぬ? また人間はなぜに幸福を求むることを切望する? の最大目的は動物でも植物でもおよそ生きとし生けるものはみなあえて変わることはない。畢竟人間はわが人間種類すなわちHomo sapiensの系統をこの地球の滅するきわみ、どこまでも絶やさないようにこれを後世に伝えることと、また長く生きていなければ人間と生まれ来た責任を果たすことができないから、それである瞬間生きている必要があるのである。) 

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