2016年6月27日月曜日

民として立てられた私たち

EUはどこに向かうか アヴィニヨンの橋 2006年11月

主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。(申命記28:9)

 どこに、これより強力な約束があるでしょうか。今、主のおことばに従い、信頼しなさい 。そして今、「きょう、あなたを立ててご自分の民とする」(申命記29:13)神におまかせしなさい。あなたのたましいを支えてくださるように良きようにとりはからってくださる主にゆだねなさい。信頼できる創造者として、あなたが主におゆだねすることを主は支えてくださると確信できるのです。


さあ、主よ、私はあなたにおまかせします
私は全面的にあなたのものでありたいです
あなたが私にご自身を与えてくださり
あなたが全面的に私のものであるように
おお、私を受け入れてください
私をあなたのものとして聖別してください
完全にあなたのもの
あなただけのものとして 

( 今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/june-27-ourselves-established/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97343です。

 以下はAutobiography of Maria V.G.Havergalの私訳である。著者マライア・ハヴァガルは一月からずっとこのブログで訳し紹介し続けて来ているフランシス・リドレー・ハヴァガルのお姉さんにあたる人である。この自伝の中には随所にその妹について触れたところがある。読者にはその部分だけを紹介しようと思うのだが、中々私自身の語学力もあって適当にピックアップして紹介できないので、迂遠な方法だがこの伝記を始めから少しずつ訳すことにした。ハヴァガルの育った環境がわかり、彼女の霊想を側面から支えてくれるものだと確信する。

マライア・ハヴァガルの伝記 1章 幼年時代(1)
 「いつくしみと恵み」と「自分かってな道」こそ我が人生の縮図だ。その生涯の日々も閉じようとしている。今や夕暮だ。そして夕暮は真っ赤な日没へ移ろうとしている。もう少しで達せる天のふるさとの高みから振り返って見ると、夕方の日の輝きが来し方を照らしている。曲がりくねったり、わき道にそれたり、近道をとったり、誘惑に陥り、落とし穴に落ちたりした「自分かってな道」のあらゆる過誤を、あらわにしている。
 けれども我が目は再び神の永遠に続く、かわることのない圧倒的な愛の金色の光線を見る。なぜなら私は主が私を安全に導いてくださった「正しい道」そして確かに私のあとについてきた「いつくしみと恵み」を見ることができるからだ。そして今やまるでベウラ※の地に滞在しているかのように、過去の思い出を書き留めたい。願わくばこの書き物をとおして主のご栄光といつくしみがほめたたえられますように。

※イザヤ62:4残念ながら新改訳聖書にはベウラが訳されていない。ベウラは「配偶」と文語訳聖書には明記してある。主から離れていた罪人が主のところに帰らされことを歌い上げた聖句である。)

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