2016年4月25日月曜日

行動は大声でわめくものだ

あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。(ローマ6・13)

 短気な怒りっぽい心の行動は時々、舌は制御できても手にあらわれるものです。まさしく私たちが戸をバタンと閉めたり、本を下に降ろしたりする所作そのものが勝利か敗北かであることでしょう。すなわちキリストの守りのうちにあるのか、それとも全く守りのうちにないのかの証拠となるものです。もし、私たちがこのように不義の器を罪にゆだねるなら、どのようにして神様は私たちの手足を義の器として用いることができるでしょうか。
 
 ですから、ただちに主にその権利をおゆだねし、ほんのわずかでもサタンの思うつぼにはまって神聖さを汚したことを悲しみ、もうこれからは主に信頼して「主のご用のために」信仰を通して神の御力によって守っていただきましょう。なぜならキリストのやさしさが私たちのうちに住むのなら、主は指先のほんのわずかのタッチをお用いになることができるからです。

 わがままな肩にほんのわずか触れられたことが人生の転機となったことを聞いたことがありませんか。それは小指がほんのわずか触れるだけで強情な心に触れる手段となったのですが、主の場合はさらにそれよりわずかのことをなさったのを私は聞いたことがあります。

ほんのわずかの一瞥と行動
そうです、でも私たちはほとんど何も知らないのです
小人のような「ほんのわずかなもの」がそれぞれ
どのように巨人の力と成長するかを
大規模ななだれはほんの一吹きによってくずれ 
ほんのわずかの体温低下が突然の死を負わせられるのです
 
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/april-25-actions-speak-loud/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97280です。

4章 ただあなたのために(15)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 ハヴァガルの74年、75年の重病以来ずっと、彼女の健康は、もともと頑健ではなかったが、かつてよりもはるかに微妙な状態になった。そして「熱攻撃」とも名づけられ、主に衰弱から生じたものとみなされることが絶えず襲った。もっとも配慮されねばならないことは彼女が風邪を引く危険にさらされないようにということだった。ところが、この特別な行事において、もっとも不幸な場所がその集まりに選ばれた。その日は雨ともやの立ちこめる日だった。長時間、湿った空気の中に立ち続け、ハヴァガル嬢は「雨に濡れて冷やされて」戻って来た。
 翌日気分が悪かったが、戸内に留まらねばならないほどは悪くなかった。しかし翌々日寒気が増して来たので、医者に診てもらった。5月24日彼女はベッドに寝かせられた。しかし、誰もこの気分が悪い病状が引き続いておこる同種の多くの病気よりそれほど重病であるものだとは思いもしなかった。) 

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