2016年4月4日月曜日

十分かつそれ以上だ

イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、(ルカ18・42)

 だからそれで十分だった。すなわち信仰ある彼の祈りと力あるキリストの答え。なぜなら「たちどころに目が見えるようになった」(43節)と書いてあるからである。それが全てだったろうか。彼は道端に物乞いするために戻ったか。いいや、そうではない。彼は「神をあがめながらイエスについていった」(43節)

 数分前の叫びとこれはまた何という変化か。「これを見て民はみな神を賛美した」(43節)「私をあわれんでください」というその最初の叫びがそんなにも急速に導かれたことを考えても見よ。誰が数分前に、目が開けられ、イエスに従い、神をあがめ全群衆が神を讃美するようになろうと予期したであろうか。

 主イエスはあなたにおっしゃっている。「わたしに何をしてほしいのか」(41節)あなたは何と答えるか。 

私の救い主は私が光の中に生きるために暗闇の中で死なれた 
主は私の目が天国を見得るように死の内に目を閉じられた
主は私に主の栄光をもたらすためにすべての栄光を捨てられた
そして罪人の友とならんとして罪人の立場を取られた
そして今や私の愛するイエスが闇の光である
とこしえに住むために入って来てくださる待望のお客様であるお方
この方は決して私を暗闇に放置せず、すべての道で私をリードしてくださる
そのように夕暮れ時は光となり、間もなく昼間となろう

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/april-4-enough-and-more/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97259です。

4章 ただあなたのために(9)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 さらに「私は最近大きなロンドンの定期的なパーティーに出たが、たいへん幸せでした。主は私に『主の御臨在の秘訣』を与えられるかのように見えました。もちろん私は’for Jesus'を歌いました。主にある全くの静寂を経験したのです。後で、見知らぬ人と二つのほんとうに重要な会話を交わしました。その人は自分の冗談から、いかにいとも容易に自分が離れることができ、真理に直面するのかを知ってかなり驚いたように見えました。彼の冗談が導きとなって、彼は自分の陥っている人としての危険を知り、そこから逃れるただ一つの避難所への希望という全く一人の人間として大切な話しを知ったからです。彼はその話し合いはたいそう良かったと受けとめ、私に感謝しました。」
 もちろん、文通をとおしてもハヴァガル嬢は一つの最重要な関心事の話題を紹介するための豊富な機会を提供しました。それは助けとなった啓示や主によって彼女に送られた豊富な聖書上の「発見」を他のクリスチャンと分かち合う点と、まだ喜びを味わっていない人々にささげる生活を通しての祝福をうながす点の双方においてでした。彼女自身のたくさんいる甥や姪の交わりにとっても彼女はまことに導き手、守り手としての天使でした。
 一人の小さな子どもに彼女は書いています。「いとしいあなた、『小さな事』も主に導いていただきなさい。主に全部明け渡しなさい。いとしいおりこうさん、祝福はほとんど独りでにはやって来ないのよ。もし主がご自身のためにあなたを勝ち取る喜びがあるなら、主はそこに止まってはおられないのです。主はここでももっと多くのことをなさいます。私はあなたのことを真剣に祈っています。いとしいあなた、イエス様のもとにもっと近づきなさい。そして今あなたがイエス様に出したものを決して取り消さないように願いなさい。無条件で主のものとなりなさい。そうすれば主は完全にあなたのものとなります。」) 

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