2016年4月5日火曜日

強められる心

北の丸公園 田安門の桜※

恵みによって心を強めるのは良いことです。(ヘブル13・9)

 しかし、私たちの中には恵みによって心を強める望みを持つことは良くないことであるかのように言い続ける人もいます。私たちは次のように友に不誠実に接したと言われるなら恥をかくはずです。私たちは再三彼を裏切ってしまった。私たちは何度も何度も、ほんとうに本気でなかったことを言ってしまった。私たちはずーっと実行する計画を何ら持っていなかったのにそのことを明言し約束してしまった。 

 私たちはこの恥ずかしめを静かに受け入れるより、あるいは私たちが恥ずかしめられたのちに再び友と顔を合わせるよりも、むしろ次の船でニュージランド行きの船で出港する用意をするはずなのです。

 しかし、それに比して私たちは(私たちのある者は)いつも主に対して不誠実であると言われても恥じとはしないのです。いやいや、それ以上でさえあるのです。私たちはどれほど私たちの心が気まぐれで信用ならぬものであり絶望的に醜いものであると認めながら、そう言うことがまるで一種の美徳であるかのように名状しがたい自己満足でうまく切り抜けてしまうからです。

 そして私たちは実際に自分が謙遜だと証明できると思っているたやすい告白を鼻にかけるのです。「私は作り話をした」とか「私は約束を破ってしまった」と言わねばならないなら、他の人の目からも自分の目からも、その半分さえ自らを低くしない告白をするのです。いやいや、もっとそれ以上であります。私たちはもっとも根拠の薄い望みも、それゆえに完全に異なる事態を目標にする最も小さな強さも持ってはいないのです。

 もし、私たちがさらに一歩先まで踏み込んで、強められる心を持つことを求め、主が「正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。」(詩篇84・11)と約束し言われたことを信ずる人々を、手に負えない不誠実な名前で呼ばないなら、私たちにとって良いことです。主はそのようにこの良いことを拒まれないでしょう。

心からの者よ。 愛する栄光ある救い主、
あなたの偉大な力を取り、あなたお一人で支配してください
私たちの意欲や勝利ある愛情にまさり
自由に明け渡され、完全にあなたのものとされた

姉妹たちよ、愛する姉妹たちよ、その呼び声が鳴りとどろく
あなたはソフトな旋律でこだまされないで
力と甘美で喜びを豊かに備えて
「真実な心の持主、心からの者」と再度鐘が鳴り渡る

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/april-5-an-established-heart/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97260です。今日の箇所はすこぶるむつかしく誤訳が多数ある。意味のつかめない文章になっている。読者の力でなおしていただきたいところだ。

4章 ただあなたのために(10)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
  もちろん、かなり幅広い人気のある作者はたくさんの人から関連があろうがなかろうが能う限りのあらゆる主題について、特に作家志望の人から、たくさんの手紙を受け取った。彼らは自分たちの作品を読んで批評してもらうように頼んだのだが、そのために費やされる時間と労力については少しの配慮もない、ずうずうしいものもあった。
 次に掲げるものは彼女のもとに届いた多種多様なリクエストの見本である。
「アイルランド教会支援者への寄付金要請。特別新年礼拝にあった賛美歌。会葬者のためにふさわしいカードを書くこと。6つ以上の〈Marching Orders〉のセット。6枚の絵をあしらった詩のリクエスト。二つのシートが交差する祈りと弔意と助言。70代の人からきた思想を求める二枚のシート。ユニテリアンにふさわしい本を書いてもらう要請。彼女の詩句を別の作者の名前を用いて印刷してしまった人からの様々な照会と謝罪。四つの解説的な封入物を持つ作品の再発行の要請。校正を改訂し自分の意見をつけくわえること。たくさんの音楽原稿の改訂。バザーのためにカードを手当てする三つの要請。雑誌の中に挿入する記事の確保の仕方をもとめる助言。生徒たちに推賞すること。新しい雑誌を促進すること。オラトリオに意見をすること。改訂するための原稿にいくつかの長編の詩とそれに関する助言。それに加えて、リーフレットとカードをふくむ小包が求められたこと。」

※火曜学び会は午後の葬儀のための配慮であろう。いつもより短いメッセージであった。みことばは1列王3・1〜3で「主を愛する」であった。ソロモン王が世界一の富と英知を身につけていたとしても、覚えられてしかるべきなのは彼が「主を愛した」ことであったと言われた。まことに「エディデヤ(主に愛される者)」にふさわしい生き方であった。帰りに九段下の田安門の桜を見た。) 

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