2016年10月11日火曜日

救い主

舌づつみ 懐石の味 時忘る※ 

王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。(エステル5:2)

 イエス様は「王位についている(アモス1:8)」方です。笏は第一に王の権利と権威の、次に義と公正の象徴であります。「あなたの御国の杖こそ、まっすぐな杖です(ヘブル1:8)。」「正しい杖」です。しかし、金の笏は、もしそうでなければ滅びたに違いない者に対する最高のあわれみのしるしとして差し伸ばされました。「生きるために死に行かねばならないというご自身の法」によって。

 かくして、直接の宣言と型の組み合わせによる、この形態のうちに、私たちは、私たちの王の「恵みとまこと」また王国の「義と平和」が美しくも完全に調和されているのを見させていただきます。「王様の敵」にとっては、笏は「鉄の杖」であります。(ヘブル語では笏は同じ意味です。)彼らは自分たちが否定する義を喜ぶことができません。しかし王様にお気に入りの臣下にとっては、笏はまことに金の美しさそのものであります。

 私たちは主の絶対的な義と公正を尊崇し、栄光をほめたたえます。そのことは私たちの道徳存在の深みまで満足させるものです。まことに強力であり完璧であるからです。そして、おお、どれほど「あなたのあわれみは快いことでしょう」そしてまさしく義でありますから、どれほど「確かな」ことでありましょうか。

 エステルは申しました。「私は、死ななければならないのでしたら、死にます(エステル4:16)。」ところが、私たちはそういう必要がないのです。「その恵みはとこしえまで(詩篇136:18)。」なのです。ですから、私たちが王様の拝謁室に入るときはどんな時でも、金の笏が私たちに差し出されていることを知っています。先ず、「私たちが生きるため」に、そして次には好意から好意を得るためであります。

 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか(ヘブル4:16)。」遠く離れて立たないで、そのことを覚え、王様を待ちましょう。しかし、エステルのように「近寄って、その笏の先にさわ(エステル5:2)」るのです。

もしあなたがそうおっしゃったのなら
私は信じるに違いありません
それは「求める」だけです だから私は受け入れます

もしあなたがそうおっしゃったのなら
真実であるに違いありません
だからもはや私がすることは他に何もありません
キリストのために私にそれを与えて下さい

私はそのように来て求めます
なぜなら私の必要はまことに大きくほんとうですから
あなたのみことばの力の上に
私は来て申します
おお あなたのことばを 今日も真実たらしめて下さい
キリストのために私にそれを与えて下さい。 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-11-the-saviour/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97449です。辞書を調べるとFor Christ's sakeは「後生だから」、「一生のお願い」とある。その訳がふさわしいのだろうが、ここでは敢えて「キリストのために」と訳した。

※Godhold Beck(50)
 法事とは摩訶不思議な時間である。一族が一同に会するからである。その一族が延々と連なるいのちの受け渡しを振り返る時である。私はマタイの福音書のイエス・キリストの系図に思いを馳せざるを得なかった。その系図はイエスの父ヨセフの系図である。ところが言うまでもなくイエスは母マリヤが処女のおり懐胎した神の御子である。ヨセフとは血のつながりがない。けれども聖書ははっきりイエス・キリストの系図と記してヨセフに至る系図を載せている。

 そもそも連綿と続く血族は一方で結婚による姻族を加え、加え、保たれて行く。しかも結婚とはまさしく男女の自由な意志によるきわめて人格的な結びつきであるが、そこには人の罪が連綿として居座り続けるやっかいな問題がある。救いはただ主イエス様の贖いの死を受け入れる罪からの解放だけである。私はそのようにして矛盾に満ちた自己の存在・悪・罪から救われた。その福音を私に伝えたのは、こともあろう、後に結婚することになる家内からであった。

 その福音を受け入れようにも、伝統的な日本仏教の中で矛盾を感じ苦しみながらも伝統ある家の格式を守り地域住民と平和裡に生活しなければならないのが家内の実家であった。その地をベック兄は生前二回訪れて下さったのである。

 一回目は昨日も述べた通り、25、6年前の実家であった。ところが、その後2009年2月に病を得た義母の見舞いに、お忙しいベック兄は今度はわざわざ地元の病院に立ち寄って下さったのである。近江八幡か彦根に移動されるほんの短い時間を利用してのお見舞いであったように記憶する。その時、義母はもはやベッドから立ち上がれず、ほぼ一年後に召された。しかし、25、6年前とちがって満面に笑みをたたえてベック兄との再会を喜んだ。この時、義弟も同席していた。

 昨日の法事の席で義母の写真も飾られてあった。それはその折り、ベック兄が撮られた写真をもとに義弟が作成を依頼したもののようであった。私は懐かしく過去のブログの記事〈蝋梅の花一輪http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2010/02/blog-post.html 、村共同体と信仰http://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2010/02/blog-post_02.html〉を思い出しながら、義弟にその話をした。義弟は蝋梅の木は当時母の依頼に答えて10年前に植えた、それがあの時、花を咲かせたのだと言った。母はその蝋梅が咲くころには私はいないかもしれぬ。しかしあなたの嫁が大事にしてくれるだろうという嫁姑の愛に満ちた話だった。

 「天国の かなたに上る 義母ありや 妻と語らう 夕餉楽しき」 ) 

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