2016年10月25日火曜日

胸の内

イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは今、信じているのですか。(ヨハネ16:31)

 そこに留まりなさい。次に何が続きますか。信仰ある証し者のもう一つのことばに耳を傾けなさい。思い出すことです。そのことばは、主の別の言葉に劣らないほど真実です。十字架上で「完了した(ヨハネ19:30)。」と発せられた聖なる唇は騙したり、欺いたりするようなことは何一つ話されませんでした。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます(ヨハネ6:47)。」このことは何を意味していますか。そのことばが言っている通りです。それ以外の何も意味していません。

 たとえ、あなたが以前全然信じていなくっても、以前信仰のしるしや希望のかすかな光を見なくても、もしあなたが今イエス様と主の成し遂げられたみわざに心から同意するなら、もうあなたは永遠のいのちを持つのです。その心からの同意が信ずることです。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つ(ヨハネ3:36)」そしてこの「信ずること」は(主のところに)「来ることです」そしてこのように(主のところに)来ると、あなたは、まことにすべてのものが備えられていることに気づくでしょう。

真実! 真実!
私たちの尊崇をそのようにあらしめてください
父よ 私たちはあなたを 心から 声高く 寿ぎます 
あなたの圧倒的な選びの すばらしき恵みにより
私たちを 忍耐強く やさしく 探し出して下さったのですから
 

死と疑いの はるかかなたの地にあって
聖霊の御力によって 私たちを キリストのもとへと 引き出し
私たちの目を開き 光を見させてくださり
カルバリの 暗闇落つるところから
不思議な真実のうちに立ち上がらせてくださった

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-25-heart/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97463です。

※Godhold Beck(64)
 今日は定例の学び会であった。エゼキエル3:18〜21、見張り人の使命について学んだ。困難があろうとも私たちの方で水準を下げ主の御旨に逆らうことがないように警告〈ヘブル12:25〉と励ましのみことば〈ヤコブ1:5、イザヤ54:7、10〉をいただいた。

 そのあと一人の方から証しをいただいた。と言っても日頃一緒に礼拝し親しくさせている仲間であった。個人的にそれなりの証しは聞いていたが、初めて、生まれて来てからこの方までの、お証を聞いた。救いのきっかけはベック兄からいただいた聖書にあった。高価な聖書をただでいただき、大変感激されたことにある。その聖書の扉にはベック兄からの謹呈のことばが次のように記されていたそうだ。そしてそのことばを今でも大切にしていると証して下さった。

まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。〈詩篇18:31〉

 詩篇の作者はまことの神を体験しました。それゆえ彼は主を礼拝せざるを得なくなったのです。主なる神は全能者であり、危険と試練のまっただ中で守って下さるのです。主なる神は光であり、主に信頼する者はしっかりとした土台をもつ者です。この比類ない主をより良く知ることができるように祈っています。

 心よりの愛をもってあなたのゴットホルドとミンヘン・ベック

 けれどもその方の証は自らの救いを、長年親しくしていた方が突然病を得られたとき、伝えることができ、救われてその方が天に召されて行った喜びであった。学びで伝えられた、「見張り人の使命」を十分果たすことができた喜びはまさにタイムリーな証しだった。) 

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