2016年10月17日月曜日

ことばには限りがない

内堀に 鴨ご一行 楽しげに 絆深けり かくあらん我※

ふたりでこのいっさいの出来事について話し合っていた。(ルカ24:14)
彼らはあなたの王国の栄光を告げ、あなたの大能のわざを、語るでしょう。(詩篇145:11)
 
 これらのことばは、私たちの唇の端にのぼる一文章でなく、目には見えないが長く続く影響となるにちがいありません。沈黙のうちにだんだん弱まって行くのでなく、他の人々のことばや行ないとなって生きて行くにちがいないのです。もし、私たちがなしたことを知ることができ、私たちが言ったことによってなし続けられるなら、この考えはそれほど耐え難いものではないでしょう。

 しかし、私たちは実のところ何もできないのです。その考えを少したどり、善悪の結果を垣間みることはできるかもしれません。しかし、流れ星が不思議な行跡の足跡を瞬間示して、夜空を走って行くのを眺める以上には、その考えをもはや知ることはできないのです。

 たとえ、まるで流れ星が、大気にぶつかるかのように、次の瞬間、明らかな殲滅に突入しようとも、私たちはほんとうはそうではなく、それは不思議な材質と力がその結びつきのうちに、私たちの知見を越えているゆえに、変更する力、とは言え真実な力が結びつきにいたらしめる材質と力に加えられるに違いないことを知っています。

 そして、このことは大きなことを小さなことと比較することではなく、小さなことを大きなことと比較することなのです。なぜなら、道徳的な力と比較される物質的諸力とはいったい何なのでしょうか。そのために備えられているたましいや永遠と比較される気体や蒸気や元素は何でしょうか。私たちはその件について選択権は持っていません。それを避けることも回避することもできません。もはや私たちにはそれを限定する可能性もなく、遠くで震動している音波を観測したり、目に見えない空中を流れて行く姿を見たりする以上にその境界をたどることさえできないのです。

大変な悩みの表情 

薄弱な矛盾とともに
それとも「真実でない」とする望みをともなってか
人があなたに話したことを
話すとき
 
低く「そうかしら」と言うだけ 
不正なものは全然ないのに

けれども 
ささやきが雷鳴に成長し 
非難の稲妻が落ちる 

それはりっぱな舟のマストが倒され
心が壊されるようだ

一人のキリスト者の生活が崩される
とても考えられないあやまちのために 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-17-words-are-limitless/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97455です。今日の箇所は読んでいて理解しづらいです。恐らく訳がおかしいのでしょう。お気づきの方のご指導をよろしくお願いします。

※Godhold Beck(56)
 ベック兄のご奉仕はどんな人よりも簡潔明瞭であったのではないか。主イエス様の福音を伝えること、ただこの一事であった。しかし、その範囲(空間)、その時間は、選ばず、どこまでも、また人をも選ばずに出かけられた。そして、これを支えるために献身的に車にベック兄をお乗せして一日中運転して仕えられるご婦人方がいた。またそのご婦人方を快く主の御用のために送り出すご主人の主への愛・ベック兄への愛があった。私はそのことを思う時、ベック兄姉とこれを支えられたご兄姉の深い愛の絆を思い、感服させられずにはいられない。) 

2 件のコメント:

  1. 通りすがりですが、原文と比較すると、タイトル訳が全く
    逆の意味になるのでは?
    Words are limitless.
    ことばには限りがない。

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  2. ありがとうございました。とんでもない誤訳でした。訂正します。通りすがりで指摘してくださり感謝です。

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