2016年10月31日月曜日

「近づきなさい」と「信じなさい」

近江八幡喜びの集いに掲げられた書※
神に近づく者は、神がおられることを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)

  近づくことと信ずることとは全く同じことのようにしっかりつながっています。あなたがほんとうに信じた瞬間は、あなたがほんとうに近づくことであります。そしてあなたがほんとうに近づく瞬間に、あなたはほんとうに信じているのです。今や主イエス様はまるであなたが主を間近にすることができたかのように、まことに実際に「あなたの近くに」おられるのです。

 そして、主はあなたが聞いたかのように「近づきなさい」とまことに実際そうおっしゃるのです。 恐れてはいけません、ただ信じなさい。そしてまっすぐ主のところに近づきなさい。「あなたがたはことばを用意して、主に立ち返り、そして言え。『すべての不義を赦して、良いものを受け入れてください』(ホセア14:2)。」そのとき、主の答えは「わたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません(ヨハネ6:37)。」であることを知りなさい。

最も大きな必要における真実なもの
主イエス・キリスト様
あなたこそ まことにそうです
深夜の潮流を通過し
漂流する舟を導くことの出来る
水先案内人はどうでしょうか 
難破船に近づき 
救助を求めて
人々が甲板から飛び降りる時
救命ボートはどうでしょうか
荒れる北海の秋の強風を
まぬがれるために
帆船が避難することの出来る
港はどうでしょうか
まことにあなたこそ真実です
今や 私の水先案内人 私の救命ボート 私の避難港です

 (今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-31-come-and-believe/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97469です。

※Godhold Beck(70)
 この書は4つほど掲げられた書の一つである。いずれも一人の方の書である。彦根藩士日下部鳴鶴の流れを受ける先生のもとで素人ながら研鑽を積まれている方である。流麗な筆さばきには内面の繊細な震えるたましいを、まことのいのちへと導かれた主イエス様のいのちの証しが窺える。この方は70をとっくに過ぎて主イエス様に導かれた人である。日頃「死が怖い」と思っておられたこの方を愛して、ベック兄はその方の後から近づかれ背中をポンと叩かれ「死は怖くない」と言われたそうである。その時、彼の主イエスへの信頼の思いは定まったとのことであった。

 さて、再び、昨日に続いて、ベック兄の2007年になされた証し、メッセージの聞き書きの文章である。

 長年、私たちが気にしてきたことは、信仰に導かれた人々の霊的な成長です。私たちなしに成長できるかということです。私たちがいてもいなくてもよい存在であるべきなのです。

 そして、今回の私の病気を通して、つまりスイッチが切られた状況の中で示されたことは、私たち無しでも大丈夫ということでした。
 兄弟姉妹方が以前よりも積極的に関わってくださり、以前よりも多く祈られるようになり、すべては予定どおり進められました。よろこびの集いや家庭集会、洗礼式、結婚式、そして葬儀も、私たちは改めてわかりました。兄弟姉妹が互いに必要とし愛し合うところには、未信者の方も求めて来られるということを。

 主が頭として、権威として、認められ望まれるところでは、主に属する人々を主が用いられます。あなたが何をなすべきなのか、どのように、また、いつなすべきなのかを、主に尋ねてください。それは、私、あるいは私たちの奉仕を、主が助けてくださるからということではありません。

 すべては主のなさることです。私たちが仕えさせていただけるのは、ただ主の恵みによるのです。なぜなら、主は私たち無しでも、お出来になるのですから。私たちが新しく見せていただいたのは、主イエス様が、私たちと全く異なっておられるという事実です。) 

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