2016年11月1日火曜日

万事が一時しのぎであってはならない

あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。(1コリント10:31)

 単にそれが好きだからという理由だけで、私たちが飲むとき、このことは完全に神のしもべとはなっていないのです。神の栄光にとっては、私たちのものであるこの世にある、もっとも最大の障害物である理由です。

 This is not fully obeyed when we drink, merely because we like it, what is the very greatest obstacle to that glory in this world of ours. 

 もし事態が何千人の人々にとって苦難や罪や死や破壊を、日ごとに積極的にかつ強く与えるなら、それゆえの叫びがまるでまさしく天を突き刺さねばならないようになるまで、私たちがもっと洗練された形式でそのことを受け取る方を好んでいるとは何と重大なことでしょうか。だから叫びは私たちのくつろいでいる食堂の壁を突きさすよりも、もっとすみやかにたくさんのことをなすのです。

 What matter that we prefer taking it in a more refined form, if the thing itself is daily and actively and mightily working misery, and crime, and death, and destruction to thousands, till the cry thereof seems as if it must pierce the very heavens! And so it does sooner, a great deal, than it pierces the walls of our comfortable dining room! 

 私はここで「私のくちびるを取ってください」と言っていたあなたが、この次には男や女の手足を結びつけ、サタンにとって無力な彼らを解放するくちびるにその祈りを据える時に、その祈りをやめては繰り返すと言っているにすぎません。

 I only say here, you who have said, "Take my lips," stop and repeat that prayer next time you put that to your lips which is binding men and women hand and foot, and delivering them over, helpless to Satan! 

 これらのことばをもう一度あなたの心からくちびるにまで通しましょう。そうすれば、あなたが、そのような地獄の働きの手段をくちびるをつかってなすことを快く感じているとは私にはとても思えないのです。

 Let those words pass once more from your heart out through your lips, and I do not think you will feel comfortable in letting the means of such infernal work pass in through them.

愛され選ばれし 神の教会
主がそのために死なれたキリストの教会
あなたの贈り物 あなたの与え主に
賛美を ささげましょう 
あなたがたは洗われ、聖なる者とされました(1コリント6:11)
父なる神によって聖とされ
御子イエス・キリストによって聖とされ
さらに聖霊なる神様によって聖とされる
聖なる聖なる聖なるかな
三つにして一つなるお方よ 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-1-all-things-not-expedient/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97470です。今日の文章はむつかしく私の力では訳せなかった。そのため原文を併記した。読者による好訳・訂正を期待します。

※Godhold Beck(71)
 以下は、引き続いてベック兄の2007年のドイツでのメッセージの写しである。

 私たちが新しく見せていただいたのは、主イエス様が、私たちと全く異なっておられるという事実です。
 弟子たちも、当時そのことを体験させられました。主イエス様を理解できなかったのです。カナの婚礼で、マリアはただ言いました。「ぶどう酒がありません」と。イエス様の答えは、「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。あなたの思いとわたしの思いとはことなるのです。」

 たびたび、弟子たちは次のように認識せざるを得ませんでした。
「イエス様の考えは異なっていて、自分たちには理解し分かることができない」と。

 私たちがいかに多くの間違いをしているかが分かれば幸いです。主イエス様は言われます。「あなたとわたしでは考えが異なります。あきらめて、あなたの計画を手放しなさい。あなたから出るものはすべて的外れで、わたしがしようとすることの邪魔になります。」

 主イエス様と私たちの間には、いつも違いがあります。イエス様だけが父なる神のみこころにかなっています。イエス様が私たちの中を御姿で占領されたときに初めて、まったく私たちと異なる方、主が、私たちを用いることがお出来になります。私が何を考えようとも、それは大切ではありません。私の考えは主の邪魔になります。

 主イエス様と私には何一つ共通するものがありません。この対立は、どこまでも一致することはありません。主の前に、引けを取らないものは何一つありません。自分の努力はすべて的外れです。徹底的に自分に絶望した者だけが、霊的に先に進めるのです。

引用者註:ベック兄が強調されたことの一つにはこの「霊的破産」ということばが印象的でありました。たとえば、そのことは『神の聖なる戒め』の61頁に出てきます。私はこのことを教えて下さったベック兄に心から感謝しています。)  

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