2016年11月25日金曜日

喜びの満たし

日本人による賛美 ドイツ・アイドリンゲン 2010.10

私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。(ローマ15:2〜3)

 もし、人々が信じているだけなら、自己を喜ばせることは、必ず最後には失敗となります。私たちの良き羊飼いである主は、私たちが自らを喜ばせることからは、決してつかみ得ない、主を喜ぶ喜びが現実であること、またその満たしを経験させてくださるのです。

愛の方言は たとえ言葉は一つしかなくとも たくさんあります
人生の貴重な学びの時が流れる間 
できるだけ多くのことをどんなことでも学びなさい
沈黙は どんな隠された悲しみもそこにはないという
確かなしるしでは ありません
決して語られない悲しみは 耐えるのにもっとも重い重荷です
その心は めったに孤独とはなり得ないでしょう
もし 自己忘却という より孤独な静寂を求め
心が 愛というより空しい杯が 満ちることだけを 求めるなら

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-25-fullness-of-pleasure/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97494です。短いだけに「しめた」と思ったが、訳出はむつかしく、今ひとつ「しっくり」と来ない。みことばが簡潔だけに、それで十分だと思うが・・・

※Godhold Beck(95)
 ベック兄にとって1980年にお嬢様リンデさんが20歳で召されたことは大きな意味を持っていたが、昨日の一人の方の証言によると、その時のベック兄の態度を通して、全く想像できなかった人生への生きる道、主イエス様を信ずる道を見出したということであった。

 2016年、そのベック兄が召された。今度は私たち残された者がどういう態度を取るかが問われているのかもしれない。再びベック兄の自らの病気を告白された2005年5月29日にドイツ・アイドリンゲンでドイツ人に向かって語られたものの邦訳を連載したい。
[1]
 今回ドイツに来て、多くの兄弟姉妹方から私の病気について尋ねられました。実は約一年前に、私は白血病という癌にかかっており、この病は治すことができないと医師から宣告されたのです。

 しかし、その後の化学療法のおかげで、今では薬が必要なくなり、二ヵ月に一度の診察だけで済むようになりました。私はこの病気から癒されることを一度も祈ったことがありません。それは私にとって何が最善なのか自分では分からないからです。すべてのことを主に委ねて歩めるというのは、何という特権でしょうか。

 とにかく、一つのことだけは、はっきりしています。私が病気になったことは、本当に良かった、ということです。というのは、兄弟姉妹の皆さんが、それまでにもまして、多くのことに積極的にかかわってくださるようになったからです。このように協力してくださる日本の兄弟姉妹たちが大勢与えられていることは、まさしく主からのプレゼントです。このことは私たちのこの上もない喜びであり、心から主に礼拝する根拠となっています。

 日本の兄弟姉妹たちとともにこのドイツの喜びの集いに参加するようになって以来、今回で12年目に入りました。これまでに4000人以上の方が参加されました。特に今回は日本からだけでなく、オーストリア、フランス、ロシア、インドなどからも参加して下さっています。このドイツ喜びの集いでは、毎回必ず何人かの方々が信仰に導かれています。また集われた多くの方々が、生き生きとした希望をもって帰っておられます。この集いの目的は、交わりを通してお互いに親しくなるためでもあります。

 ところで、今朝読んでいた文章の中に、次のようなとても大切なことが書かれていました。それは「キリスト者は決してソリストではない。」ということです。自分ひとりではなくて、ともに主のみことばを聞き、ともに主を賛美し、ともに主に奉仕することこそが、大切なのではないでしょうか。ともに交わることも、とても大事です。 )

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