2016年11月6日日曜日

生ける註釈

今が最高の見頃? 信州の秋※

どうか、あなたのしもべへのみことばを思い出してください。あなたは私がそれを待ち望むようになさいました。(詩篇119:49)

 神様は、私たち自身の経験の書物にご自身のみことばについての註釈を書き続けておられます。すなわち、私たちがその書物を主の御手に置き、私たち自身の殴り書きで満たすことを考えない限りにです。私たちはこの註釈をみくびったり、無視したりしないで、ジョン・ニュートンが書いた時になしたように用いるべきです。

主の愛は 昔
ついに私が悩みの中に放置され沈むと
私が考えることを禁止し
私の註釈のうちにある
それぞれの甘美なエベゼネルの石が
完全に助ける良き喜びを確かなものにする

愛のあらゆる記録は偉大な署名を生み出す
「主であるわたしは変わることがない(マラキ3:6)。」
「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです(ヘブル13:8)。」

恵みと助けの「これまで」のことごとくは 
「これから」ますます恵みと助けになる
信仰の真実さのあらゆる経験が信仰の可能性の領域を広げる
あらゆる認識された約束は人にとってまだ認識されていない踏み石だ

これまでも主は私たちをあらゆる道に導きながら
助けてきてくださった
これからも主に完全に信頼しましょう
主に一日日長信頼しましょう

これまでも主は私たちをご自分のものとして労り
愛してくださいました
これからも主をもっと良く愛しましょう
そして主だけのために生きましょう

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-6-a-living-commentary/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97475です。文中ジョン・ニュートンとあるのはもと奴隷船の船長で、最後にはイギリスの牧師になった人で、彼の「アメイジング グレイス」は多くの人々に愛されています。エベゼネルとあるのは1サムエル7:12「そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、『ここまで主が私たちを助けてくださった。』と言った。」を意味します。

※Godhold Beck(76)
 再び、御代田の西軽井沢国際福音センターに人々は集まった。ベック兄の葬儀以来の集まりであった。ベック兄が召されたことを通して、人々はより一層天国を間近に感じながら、聖書の示す真理にますます肉薄する喜びを味わうことができた。さて、今日の箇所でアイドリンゲンでのベック兄のメッセージの写しは一先ず終わる。

 わたしたちにも良いと思われる考えがあるかもしれません。しかし、それが主のみこころであるか、私たちの思いであるかを、主に尋ねなければなりません。主とともに歩んでいるかどうかが大切なのです。

 神の霊が働いている中には、あふれるいのちがあり、主がどこにおられ、どのように働こうとされているのか、また、私たちに何を要求しておられるのかがわかります。何が起きようとも、主のもとにいつも身を避け、血潮の蔽いに身をおくことが許されています。

 主は、私たちが自分をゼロの状態に置いたときに、ご自身を啓示されます。5000人の人のためにパンを買うことが不可能でした。ある人は38年間病気で、助かる望みは皆無、すべては絶望でした。生まれつきの盲人は、見たことが一度もありませんでした。ラザロは4日間も墓に入っていました。このように、人間的な助けが不可能になった時にだけ、主は介入されたのです。

 イエス様は、ご自分の栄光のために役立つならば、介入してくださいます。私のすることには何も価値はありません。主のご目的は私たちの中に、また、私たちを通して、主がご栄光を受けられることです。私たちに何が起きようとも、どうでもいいのです。自分の力に依り頼むのではなく、主のみこころを尋ね求めるならば、主は必ず働いてくださいます。

後記 西軽井沢国際センターにすべての人が集まったわけでない。それぞれ人々は自ら示されるまま、それぞれの地に福音を伝えるべく、またそこで礼拝すべく時と場所をささげておられる。いずこにいようと、全く御霊の自由が人々を支配している。) 

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