ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、会いました。」(ヨハネ1:45)
イエス様がピリポを見つけられた時、ピリポは自分がイエス様を見つけたことを知っていました。だから、私たちが主を見つけたことを知って、次になすことは誰かを探して、「来て、そして、見なさい。・・・私たちは主を見つけました。 私たちはイエス様に会ったのです!(ヨハネ1:46)」と言うことです。
もし、あなたが抑え難い願い、あなたが主を見つけお会いせねばならないという、まさしく心の願いを知ってさえいたら、何度も私たちが「来て、そして、見なさい。」と言う、あらゆる根気強さ、あらゆる主張を大目に見ることでしょう。サマリヤの女性は自分の水がめを置いて同様のメッセージを携えて町へ出かけました。「来て、見てください。私のしたこと全部を私に言った人がいるのです(ヨハネ4:29)」そして、イエス様から「あなたと話しているこのわたしがそれです(ヨハネ4:26)。」と言われた私たちは、もしそう言われなければ出かけることはできませんし、あるいは少しもできないのです。
「来なさい」
なぜ 救い主の血は 注がれたのか
聞いたことのない人々よ
彼らに メッセージのことばを
運べ
死者からよみがえるという
彼らに イエス様は
「すべての人のために死なれた」と 伝えよ
彼らに イエス様の愛の呼びかけを 伝えよ
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-28-hearts-aflame/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97497です。本文の最後の文章can not do otherwise or lessの文意が取れなかった。読者諸氏のご指導を賜わりたい。
※Godhold Beck(98)
[4]
「それでは、私たちにとって、祈りとはいかなるものでしょうか。
祈りは必要だから義務として祈る、と言うのか、あるいは、祈りは私たちにとって特権であり、喜びとなっているということなのでしょうか。真の祈りとは、イエス様とのチームワーク、連携プレーと言えるのではないでしょうか。
ハンドルを握るドライバーは主イエス様であり、私たちは、ただ単に助手席に座って主のなさることを見せていただくだけなのです。このように、私たちにはイエス様がお一人で何をなさるかを傍で見ることのできる恵みが与えられています。この主イエス様とのチームワークを知らない信者は、敗北に陥ったり、暗闇から光に移れずにいることが、しばしばあるに違いありません。主イエス様にとって、人の救いはもっとも重要なことであります。
「主の御手が短すぎて救えない」(イザヤ書59章1節)のではありません。イザヤの時代には、本物の祈り人はいませんでした。このイエス様とのチームワークを知っている信者は稀であったと言えるのかもしれません。
イザヤ64章7節にありますように、イザヤは「 あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。」と嘆いています。そして、主イエス様はマタイ21章22節で次のように言っておられます。「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」と。
このような約束が与えられているにもかかわらず、イエス様とのチームワークを知っている人、またそれを願う信者も中々いないのが現状ではないでしょうか。イエス様とのチームワークの前提条件は、信仰であります。
サタンは私たち信者の目を曇らせ、惑わして、主とのチームワークを持てないように試みて来ます。イエス様とのチームワークよりももっと大切なものがあるはずだと、巧みに嘘をつき、囁きかけて来ます。人間同士の繋がりを通しての方が、はるかに多くのことをなし得るのでは?と囁くのです。イエス様と私たちのチームワークが、何としても実現できなくなるように働きかけて来るのです。私たちが聖書を読んだり学んだりすることは許しても、十字架上ですでに勝利された主イエス様とのチームワークを望むことを、徹底的に妨げるのです。
マラキ書3章10節に
「わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」
イエス様とのチームワークなくしては、実を結ぶことはあり得ません。主は、私たちの祈りに豊かに答えたいと切に願っておられます。イエス様にとっては、父なる神とのチームワークがもっとも重要なことでした。イエス様は、ご自分では何もできないが、父なる神にはすべてがおできになることを良くご存知でした。ですから、いつも父なる神に向かって祈っておられたのです。また、父の御心だけがなるように願っておられたので、そのことだけをいつも祈っておられました。だからこそ、父なる神とのチームワークが、最も重要だったのです。
私たちも主との交わりを大事にし、主に用いられるよう祈りつつ、主イエス様とのチームワークをますます大切にしていきたいものだと、切に願っています。 終わり」
引用者註:ベック兄はサッカーが好きだと聞いたことがある。その好きな理由の一つにこのチームワークを見ておられたのかもしれない。先日もソフトボールでチームワークを乱す人の話を聞いた。本来の人間の性質はそのようなものである。しかし、主イエス様の救いを受け入れる時、人は初めて低くされ、人間同士の間の真のチームワークに導かれ、主とのチームワーク・祈りは始まるのでないか。)
聞いたことのない人々よ
彼らに メッセージのことばを
運べ
死者からよみがえるという
彼らに イエス様は
「すべての人のために死なれた」と 伝えよ
彼らに イエス様の愛の呼びかけを 伝えよ
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-28-hearts-aflame/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97497です。本文の最後の文章can not do otherwise or lessの文意が取れなかった。読者諸氏のご指導を賜わりたい。
※Godhold Beck(98)
[4]
「それでは、私たちにとって、祈りとはいかなるものでしょうか。
祈りは必要だから義務として祈る、と言うのか、あるいは、祈りは私たちにとって特権であり、喜びとなっているということなのでしょうか。真の祈りとは、イエス様とのチームワーク、連携プレーと言えるのではないでしょうか。
ハンドルを握るドライバーは主イエス様であり、私たちは、ただ単に助手席に座って主のなさることを見せていただくだけなのです。このように、私たちにはイエス様がお一人で何をなさるかを傍で見ることのできる恵みが与えられています。この主イエス様とのチームワークを知らない信者は、敗北に陥ったり、暗闇から光に移れずにいることが、しばしばあるに違いありません。主イエス様にとって、人の救いはもっとも重要なことであります。
「主の御手が短すぎて救えない」(イザヤ書59章1節)のではありません。イザヤの時代には、本物の祈り人はいませんでした。このイエス様とのチームワークを知っている信者は稀であったと言えるのかもしれません。
イザヤ64章7節にありますように、イザヤは「 あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。」と嘆いています。そして、主イエス様はマタイ21章22節で次のように言っておられます。「あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」と。
このような約束が与えられているにもかかわらず、イエス様とのチームワークを知っている人、またそれを願う信者も中々いないのが現状ではないでしょうか。イエス様とのチームワークの前提条件は、信仰であります。
サタンは私たち信者の目を曇らせ、惑わして、主とのチームワークを持てないように試みて来ます。イエス様とのチームワークよりももっと大切なものがあるはずだと、巧みに嘘をつき、囁きかけて来ます。人間同士の繋がりを通しての方が、はるかに多くのことをなし得るのでは?と囁くのです。イエス様と私たちのチームワークが、何としても実現できなくなるように働きかけて来るのです。私たちが聖書を読んだり学んだりすることは許しても、十字架上ですでに勝利された主イエス様とのチームワークを望むことを、徹底的に妨げるのです。
マラキ書3章10節に
「わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」
イエス様とのチームワークなくしては、実を結ぶことはあり得ません。主は、私たちの祈りに豊かに答えたいと切に願っておられます。イエス様にとっては、父なる神とのチームワークがもっとも重要なことでした。イエス様は、ご自分では何もできないが、父なる神にはすべてがおできになることを良くご存知でした。ですから、いつも父なる神に向かって祈っておられたのです。また、父の御心だけがなるように願っておられたので、そのことだけをいつも祈っておられました。だからこそ、父なる神とのチームワークが、最も重要だったのです。
私たちも主との交わりを大事にし、主に用いられるよう祈りつつ、主イエス様とのチームワークをますます大切にしていきたいものだと、切に願っています。 終わり」
引用者註:ベック兄はサッカーが好きだと聞いたことがある。その好きな理由の一つにこのチームワークを見ておられたのかもしれない。先日もソフトボールでチームワークを乱す人の話を聞いた。本来の人間の性質はそのようなものである。しかし、主イエス様の救いを受け入れる時、人は初めて低くされ、人間同士の間の真のチームワークに導かれ、主とのチームワーク・祈りは始まるのでないか。)
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