2016年11月16日水曜日

罪の告白なしに聖くせられることはない

イスラエルの神、主に栄光を帰し、主に告白しなさい。(ヨシュア7:19) 
あなたがたは、なぜ、主の命令を犯して、繁栄を取り逃がすのか。(2歴代誌24:20)

 私たちは告白し赦されるまで、隠しているものをおろそかにしてはいけません。さあ、この意に満たない過去の経験、なかんずくその歩みの毒の泉となった信仰の欠如を携えて、私たちまでも、あれこれの罪から、聖めてくださるキリストの尊い血潮のところに、出ましょう。

 そして、おお、私たちの鈍い愚かさで主をこの狡猾な不信仰によって悲しませたけれども、厳しく私たちを非難せず、忍耐強くやさしくしてくださったゆえに、さらに主をもっと愛しましょう。そうすれば、主の恵みによって私たちは新しい体験の領域、かつての以前よりももっと完全に主のために守られている生活に入ることができるでしょう。なぜなら、私たちは主をもっと単純に率直に信頼して、その生活を維持できるからです。

おお 私を 今 聖めてください 
私の主よ 私は黙っていられないのです
夕闇が迫り 静かな時間が迫っています
私は 罪を犯してしまいました 遅れないで 今
私は あなたのお約束と 全面的な力を 求めています

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-16-no-cleansing-without-confession/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97485です。

※Godhold Beck(86)
[7]
 ドイツの雑誌で、「祈り」が少なくなってきていることに警鐘を鳴らす、興味深い文章を見つけました。今の時代、教会、集会を問わず、多くの場合に当てはまるのではないかと思い、痛烈で風刺的な文章ですが、あえてご紹介します。その底に流れる著者の危機感をご洞察ください。

 故「祈り会」氏の死亡通知
 「祈り会」氏はかねて長期療養中のところ逝去されました。「祈り会」氏は数十年前、リバイバル(信仰復興)の時代に生まれ、いきいきした証しや賛美があふれる中で大きく成長されました。特に長年、教会で重要な役目を果たされましたが、ここ数年は、膝の硬化症で(祈りのために)ひざまずくことが少なくなり、衰弱しておられました。
 「祈り会」氏の妻の「学び会」夫人は、数年前、同じ病気で衰弱し死亡しておられます。主治医はこの世との親交を重視する某学派の巨頭でしたが、病気の治療のため、「組織」注射法や、「お茶飲み会」刺激法を考案、改善を図るべく他の新療法も次々と試みましたが、結果は見るべきものもなく、空席の目立つ教会に騒々しい音楽がこだまするだけで、何ら病状は改善されませんでした。
 「テレビ熱」も、患者のいのちを奪う要因です。死後解剖の結果、多くの患者は娯楽番組の見すぎで心の栄養失調状態にあることが判明しました。「テレビ熱」はまた、悔い改めや祈りを著しく減少させ、神への恐れ、真の信仰を欠如させたので、死は不可避でした。また、兄弟姉妹の愛のない環境が死期を早めたことも否定できません。それを反映して生前に残された遺言は、冷たい事務的な内容でした。なお、参加者が極端に減少しているので、教会の水曜日の「祈り会」は、以後、中止いたします。ただし、若者の「福音劇団」が上映する日は、祈り会ではないので教会を開けます!

 こういう状態になってしまわないよう、私たちはしっかりと主に祈り求めていく必要があります。

引用者註: まことにこの死亡通知は厳しい。身につまされる。)

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