2016年11月17日木曜日

私たちに及ぶ無限者の愛

ある日のsnowdrop

主は星の数を数え、そのすべてに名をつける。われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい。(詩篇147:4〜5)
主は心の打ち砕かれた者をいやし彼らの傷を包む。(詩篇147:3) 

 主は、焼却されねばならないけれども、家ではなく、主の子どもたちの学校として完全に合うようにと、世界の上に、なぜ、そのような測り知れない神経を使い果たされたのでしょうか。主のみわざの無限性は、もっとも力に満ちた知性が、全生涯かかっても余りにも短か過ぎて、主のみわざのいくつかの小さな領域の少数の秘密さえ、洞察できないとわかっているものです。

 もし、私たちが神様の御恩寵に向きを変えるなら、人自身のいのちだけをとりあげるので全く十分です。そのいのちを微視的巨視的に見て、小さな複合体が主が意図されている真のモザイクに整えられ、形つくり、ふさわしくなっている、その詳細にして豊富な知恵の宝に驚きます。

 私たちの人生の多くの小さいことがらは同じ主の心を啓示しています。それは良く知られている、きわめて美しい実例によると、snowdrop(ユキノハナ)の繊細な中心点や球質量と引力をともなう花冠の垂れ下がりようのうちに見られる完璧な釣り合いを整えています。

 もし、非常に才能のある友人が、その考えや、私たちを教えたり、私たちのために計画を立てたりして精神力をちょっとだけしか使わないのなら、私たちはどのように思うでしょうか。(それにくらべて)私たちは、主が私たちや私たちの創造、保持、贖いに使い果たされた無限の考えや英知に感謝したことがあったでしょうか。

私たちは見る そこに
上に向けた主の考え 平和の思いを
もっともやさしい愛に 屈(かが)むところに

それは依然として 私たちの必要が増えるにまして 増していく
決して変わることなく 決して失敗したり ためらったり 忘れたりしない

おお 憐れみ深き  神様
おお 高貴な恵みは 尽きない
おお 深きところ 高きところの やさしさの極み
神様のもっとも貴重な もっとも驚くべき もっとも不思議な○○
私は悩む者、貧しい者です。主よ。私を顧みてください。(詩篇40:17)

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-17-infinite-mind-thinking-on-us/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97486です。○○の部分は英文の誤植で不明な箇所です。写真は数年前に線路脇で撮影したsnowdropです。この可憐な小さな花を見そなわしながら書き進めていったハヴァガルの主への感謝の思いを読みとりたい。

※Godhold Beck(87)
[8:この項の最終]
 さて、次にご紹介するのは、よく知られているH.E.アレクサンダーの詩です。今のときの大切さ、今、私たちが何をなすべきかを、強く促しています。詩の内容に該当する聖句は、エレミヤ書8章20節「刈り入れ時は過ぎ、夏も終わった。それなのに、私たちは救われない」です。なお、詩の中の「私たち」は信者のことではなく、イエス様の救いを伝えられなかった人々、福音を宣べ伝えられなかった人々のことを表わしています。

恵みときは終わりに近づいている。
広い世界に、いまや静かに、終わりの日が近づいている。
遠い砂漠の底から、不安な叫びが聞こえてくる。
私たち(イエス様を知らない人々)の真っ暗な夜には、決して光がさし込まない。
私たちを照らす神の恵みがなければ、
私たちは苦しみと闇の中、暗い道を行かねばならない。
永遠に、永遠に。

あなたがた主を信じる者は歌い、喜びに満ちて、「自分は神の子である」と言う。しかし私たちは、死のいけにえとなり、恐怖に満ち、ひどい苦しみに満ちている。

あなたがたはなぜ、立ち止まっていて、夜の始まる今、私たちを救おうとしないのか。あなたがたはなぜ、主がそのひとり子を遣わして、
私たちを愛してくれていることを教えないのか。

あなたがたのおかげで、私たちはそれを知らずに、希望もなく滅びいく。
私たちは死ぬために生まれたのであり、
死は、永遠から永遠にいたる我々の運命なのだろうか。

私たちには星が輝かない。約束の光も照らされない。
遠くの方にさばきの雷が聞こえる。

なぜ、なぜ、あなたがたは急がないのか。
神が「行って、全世界に、十字架の勝利者を宣べ伝 えよ」と言っているのに。

あなたがたは、私たちのあわれな心のための「喜ばしい知らせ」を持っている。
傷を癒す薬を、苦痛を永遠に癒す薬を持っている。
それなのに、なぜ、そんなに長く、沈黙しているのか。

早く、主を信じるあなたがたの、
信仰の岩に至る道を、信仰の言葉を、私たちにも聞かせてほしい。
神があなたがたに与える慰めを、私たちにも与えてほしい。
私たちの涙をぬぐってほしい。

私たちが、永遠のいのちを持たず、死んでいくのは、あなた方のせいだ。
どうか私たちをも祝福に導いてくれ。私たちは罪に悩み、夜は近づいている。
私たちは、自分のたましいを、悪魔の力に与えなければならないのか。
永遠に。永遠に。
近くの国から、遠くの国々から、何千万という人々が、主を求めて叫んでいる。


   主よ。私たち主を信じる者に、新しい恵みをお与えください。
   私たちの罪をお赦しください。
   あなたのためにのみ、私たちをお用いになり、
   私たちを使者としてお遣わしください。
   あなたを待ち焦がれているたましいの所へ、
   十字架の言葉を運ぶ者としてください。
   彼らが永遠に、永遠に、滅びることがないように!

引用者註:この詩は事あるごとにベック兄が読まれた詩である。主を信ずる者の罪は、「無関心」であり、「妥協」であり、「順応」であったことに思いを馳せ、再度我が胸中にその奈辺いかにありやを訊ね、それゆえに悔い改めたい。)

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