2016年11月9日水曜日

主の栄光のためにとこしえに形造られる

カリフラワー畑 御代田町にて

私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。(伝道3:14)

 だから、私たちは「唯一」とか「あなたのためにすべて」ということはもちろんのこと、「永遠に」と喜んで言うことができるのです。なぜなら、主は私たちの守り手であり、主は全能の方であり、永遠の神であるからです。この神には変わりゆくものはなく、移り変わる影もありません。神は決して私たちを守ることについて御心を変えられることはありません。どんな人間も主の御手から私たちを奪うことは出来ないのです。

 キリストもまた私たちをその御手から引き離されません。なぜなら、主は「これから長く、私のところにとどまる(ホセア3:3)」のだとおっしゃるからです。そして、私たちを守られるお方はまどろまれることがないのです。ひとたびぶどう園を引き受けられれば、一日が過ぎるまで、日夜それを見守られるのです。だから、私たちは終りの時にあらわされるように用意されている救いの完全な意味を知ることができます。その終りの時まで私たちは主の御力によって守られているのです。

 今のしばらくの期間、信仰によってやさしく守られていることから、永遠に主のご臨在のうちにある栄光に移行するという、主のためにとこしえに守られるという事実があります。主は私たちを造られ、選ばれた目的を永遠に実現されます。私たちは主の賛美を前面にあらわし、主は私たちに来たるべき時代に私たちに対して主のやさしさのうちにある豊かな恵みを示されるのです。主は私たちのために、私たちは主のために、それはとこしえにであります。おお、私たちはこのことをどれほど少ししかとらえていないことでしょうか。しかし、これこそ「イエス様のために守られる」ことの成就の実なのであります。

主ご自身だけのために分離しなさい
今や私たちは 私たちの召しが栄光のうちに
示されていることを見ています
何らの秘かな恐れもなく
この私たちの聖なる分離を負うて
今や私たちの神である主の献身の冠は
私たちの自らささげる頭上に落ち着くのです

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-9-formed-for-his-glory-forever/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97478です。

※Godhold Beck(79)
 昨日の火曜学び会はイザヤ53:10という2600年前の預言がいかに今に生きる私たちの罪の赦し、かつ「とりなし」となり、それだけでなく、死は終わりでない天国への約束となっているか、それと同時に再臨の主イエス様を待ち望むことのできる喜びについても語られた。ベック兄が病臥し講壇に立てなくなってからこれで何度目の代理の方によるメッセージなのであろうか。ベック兄が灯された信仰の灯はこの日も確実に受け継がれていた。

 そのあと、日頃は同じ集会に出席している知人の証しがなされた。知人は端的にご自身の息子さんに主がいかに働かれたかを話された。息子さんはハンデを持って生まれて来られた。それがご両親の大きな精神的悩み・重荷であった。その中で7、8年前、高校三年生になった息子さんを連れて、遠くドイツの喜びの集いに参加したときのことを話された。息子さんが落ち着きがなく、あっちのテーブル、こっちのテーブルと行くので親として気が気でなく、たくさんのストレスを抱えておられたときのことだ。話は以下のようであった。

 ベックさんに相談しました。ベックさんは私の話を黙って聞いてくださり、最後に私が「どうしたらいいでしょうか、ベックさん」とうかがうと、やさしく諭すように「しげお、あなたに何が出来ますか。健太郎に何がしてやれますか。何が出来ますか。」と話され、「何も出来ないでしょう。放っときなさい。健太郎の好きなようにさせなさい。」そしてさらに「イエス様に祈って、イエス様に任せなさい。イエス様の所為(せい)にしなさい」とおっしゃいました。衝撃的な言葉でした。

 この世的な考えの私は、「エエッ、そうなの、それでいいの」と思考が混乱してしまいました。でも私の心のこの現状を打開するためには、何かしなければなりませんでした。私は祈ってそうしました。私はベックさんから言われた通りにそうしました。放っときました。それからの旅行はうそのように肩の荷は取れ、楽になれ、本当に思い出の残る旅となりました。

 祈ること、そしてすべてを主にゆだねて行動することの大事さを改めて知る大事な旅になりました。みことばを拝読します。「彼らはすぐに網を捨てて従った。」(マタイ4:20)「彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。」(マタイ4:22)

 あれから7、8年経つが、健太郎君は高校を出て生活クラブの中でふさわしい仕事が与えられている。そして集会の大きな宝となっている。彼は何よりもイエス様を愛する青年として、それぞれにふさわしいみことばを手書きで書いてプレゼントしてくれる。それがどのようにして示されるのかは分からない。先日もお母様をなくした方に次のみことばを贈ったということだった。「あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません(ヨハネ16:22)。」誰もがなし得ない慰めを健太郎君はなしている。)

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