神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。(創世記22:8)
わたしのために、王を見つけた(1サムエル16:1)
このようにキリストが王である源泉は主の愛の永遠の助言者である神ご自身にあります。それは神の壮大なお考えの一つです。キリストは父に向かって「あなたはわたしを世の始まる前から愛しておられた(ヨハネ17:24)」と言われました。その不思議な日付、すなわち時も始まっていないが、永遠の愛をもって神は「私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選ばれました(エペソ1:4)」
世界が始まる前に、うそを知らない神様は、私たちのために主に対する永遠のいのちの約束をお与えになりました。そして私たちのために主とともに「 すべての点で整序された契約をし、それを確かなものとされました。」その契約の先行する条項は私たちの贖いのための子羊であるイエス様であり、私たちの統治者としてのイエス様でした。死せる者、生ける者の救い主でいらっしゃるイエス様でした。
主は、主の王を見つけて、任命し、油を注がれました。「しかし、わたしは、わたしの王を立てた。わたしの聖なる山、シオンに(詩篇2:6)。」このようにして神様の心と私たちの心にとってイエス様の王権のうちに何とすばらしい会合の場所が見出されることでしょうか。主はご自身の堂々とした権威のうちに「わたしは、わたしの王を立てた。」とおっしゃるのです。そして私たちも低くされ、愛の忠誠をもって「あなたこそ私の王です」と言うのです。
私のおよびもつかない地にまで達した報告は真実だった
すべての主の英知と並外れた名声の報告
しかし私は来るまで信じなかった
王の手で起こされるまで塵に伏していたのだ
その半分も死せる人間のことばは決して語られなかった
私の王は私がかつて耳にしたすべての名声を凌駕していた
すべての主の英知と並外れた名声の報告
しかし私は来るまで信じなかった
王の手で起こされるまで塵に伏していたのだ
その半分も死せる人間のことばは決して語られなかった
私の王は私がかつて耳にしたすべての名声を凌駕していた
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/november-13-the-lamb-the-king/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97482です。
※Godhold Beck(83)
[4]
主は言われます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
私たちは、主イエス様だけが真理であり、他には真理が存在しないということを、はっきりとこの世に向かって示さなければなりません。ともすると、聖書は、今の時代に向けた神の言葉として宣べ伝えられなくなっています。もはや真理は存在しないかのようです。
二つの異なった意見があります。一つ目の意見は、「間違いのない聖書のみことばに耳を傾け、現代の思潮から離れるように」と警告します。二つ目の意見は、「聖書批判を許し、現代の思潮と仲良くしよう」というものです。
しかし私たちは、この終りの時代において、次のことをゆるぎなく確信する者です。
「聖書のみ、イエス様のみ、恵みのみ、信仰のみ。」
「次の事実から離れることは不可能です。聖書の間違いのなさ。神である主イエス様。処女マリアからのイエス様の誕生。十字架上におけるイエス様による犠牲の贖い」。
ところで、南アフリカではいったい何が起きているでしょうか。神に関係あることは憲法から除外されています。すべての宗教は同じ価値であるとされ、学校去行くの中で魔法や魔力の習慣が教えられます。堕胎が容認され、親が知ることなく12歳の少女が中絶することが許されています。
日本には、今日、プロテスタントの教会が7961ヵ所あります。教会の会員が512111人(人口の約0.4 %)ですから、一教会あたりの会員は平均64人、そのうち日曜日の礼拝には約36人が参加するという計算になります。
日本最大の教団に属する200の教会では牧師が不在で、10年後には500ヵ所の教会で牧師がいなくなると心配されています。後継者が育たないのです。このような事実は衝撃的であり、信者の覚醒をうながします。
引用者註:このメッセージはほぼ10年前に外国のドイツで語られたものだが、日本の現状は深刻だ。10年後の今日、事態は恐らくもっと深刻になっているかもしれない。そのことに無関心であってはならない。しかし、今出席しているベック兄を通して誕生した「集会」はまさしく「万人祭司」であり、一人一人が聖書の真理に堅く立ってゆるぎないことも事実だ。そして、ひたすらまだ主を知らない人々のために祈りをささげている。武器は伝道集会でも、様々なイベントでもない。「祈り」だ。今日も人数は少なくても一人の傍観者もいない主の集会に川越で参加できた。感謝である。)
※Godhold Beck(83)
[4]
主は言われます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
私たちは、主イエス様だけが真理であり、他には真理が存在しないということを、はっきりとこの世に向かって示さなければなりません。ともすると、聖書は、今の時代に向けた神の言葉として宣べ伝えられなくなっています。もはや真理は存在しないかのようです。
二つの異なった意見があります。一つ目の意見は、「間違いのない聖書のみことばに耳を傾け、現代の思潮から離れるように」と警告します。二つ目の意見は、「聖書批判を許し、現代の思潮と仲良くしよう」というものです。
しかし私たちは、この終りの時代において、次のことをゆるぎなく確信する者です。
「聖書のみ、イエス様のみ、恵みのみ、信仰のみ。」
「次の事実から離れることは不可能です。聖書の間違いのなさ。神である主イエス様。処女マリアからのイエス様の誕生。十字架上におけるイエス様による犠牲の贖い」。
ところで、南アフリカではいったい何が起きているでしょうか。神に関係あることは憲法から除外されています。すべての宗教は同じ価値であるとされ、学校去行くの中で魔法や魔力の習慣が教えられます。堕胎が容認され、親が知ることなく12歳の少女が中絶することが許されています。
日本には、今日、プロテスタントの教会が7961ヵ所あります。教会の会員が512111人(人口の約0.4 %)ですから、一教会あたりの会員は平均64人、そのうち日曜日の礼拝には約36人が参加するという計算になります。
日本最大の教団に属する200の教会では牧師が不在で、10年後には500ヵ所の教会で牧師がいなくなると心配されています。後継者が育たないのです。このような事実は衝撃的であり、信者の覚醒をうながします。
引用者註:このメッセージはほぼ10年前に外国のドイツで語られたものだが、日本の現状は深刻だ。10年後の今日、事態は恐らくもっと深刻になっているかもしれない。そのことに無関心であってはならない。しかし、今出席しているベック兄を通して誕生した「集会」はまさしく「万人祭司」であり、一人一人が聖書の真理に堅く立ってゆるぎないことも事実だ。そして、ひたすらまだ主を知らない人々のために祈りをささげている。武器は伝道集会でも、様々なイベントでもない。「祈り」だ。今日も人数は少なくても一人の傍観者もいない主の集会に川越で参加できた。感謝である。)
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