2016年10月20日木曜日

Kept From to Be Kept For

ベック兄    by Toshihiro.H※
わたし、主は、それを見守る者。・・・だれも、それをそこなわないように、夜も昼もこれを見守っている。(イザヤ27:3) 
たちまち、私の天幕も荒らされ、私の幕屋も倒される。(エレミヤ4:20)

 献身し、キリストを愛する心はただ消極的な守りだけに満足しません。私たちは主を悲しませないようにと望むだけでなく、絶えず、主をほめあげ続けられるようにと願っています。どんな「守り」も、それと一致し、さらに祝福ある「目的」を持つべきです。

 私たちは一瞬一瞬が単にサタンに使われることから守られるようにというだけでなく、主の御用のために用いられるように望んでいます。私たちはすべての時が罪から守られるだけでなく、主を賛美するために守られるようにと望んでいます。

 あなたは「しかし、主は単なる瞬間・瞬間をどんなふうに用いることがおできになるのですか」と尋ねるのですか。私は一瞬一瞬がそうであるように、一瞬一瞬が織り成す時間や日々もそうなるという明白な真理を証明したり説明したりすることにとどまっていたくありません。あなたはそのことを十分よくわかってくださるでしょう。あなたの質問にあるがまま答えたいのです。(以下はその私の答えです)

 全時代の教会史を振り返り、どれほど絶えず大きな働きや強い影響が一人の神のしもべの単なる一瞬間から成長して来たかに注意を払いなさい。確かにそれは単なる瞬間であっても、神様の聖霊の実を結ぶ働きが影を投げ、満たされた瞬間なのです。その瞬間は五つのことばを口に出すのに費やされたのかもしれませんが、5000人いや50万人を養ったかもしれないのです。いや、全土の心や家庭に光をあてた思想のひらめきや地のもっとも暗い片隅に生まれ灯された松明によって明るくされたのかもしれないのです。

 敏捷な話し手、あるいは孤独な思索者は主がその一瞬を何のご用に用いられたかをほとんど知りませんでした。その思想のためですらそこには余地はなかったのです。もしその瞬間が、たとえ無意識のうちにも「イエス様のために守られ」ず、別の方法で占領されるならば、主をほめあげるどんな収穫が見失われたことでしょうか 

おお かたじけない御血よ 
主よ 私の上にお留まりください
私は 私の王様からの赦しだけでなく
私の祭司から聖めを求めます
私はあなたのところに来ます
ちょうど私が始めて 
罪深く絶望的な時にやって来たように 

おお 救い主よ 私に命じてください
「行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。(ヨハネ8:11)」と
ですから いつも私を あなたの永遠の泉の
強い流れの下でお守りください
私は懇願します 私があなたの永遠なる聖めを
完全に知ることができますように 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/october-20-kept-from-to-be-kept-for/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97458です。

※Godhold Beck(59)
 以下の文はドイツの全集会用冊子「集会便り」に掲載された追悼文をH姉が翻訳されたものである。題して『ゴッドホルド・ベック兄弟はゴールインされた』アンドレアス プレッチ兄 記

  ピリピ3:12途中から「キリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。」使徒パウロの信仰告白は、ゴッドホルド・ベック兄の人生にも貫かれていた。ベック兄をよく知る人々は、彼が「キリストに捕えられた」兄弟だと体験的に知っていた。

 ベック兄は1930年3月25日に生まれ、信仰者の両親の下で成長し、回心後は宣教師として主イエス様に仕えることを最大の願いとしていた。ベアーテンベルグ神学校で基礎教育修了後、主ご自身の教育を受けた。ベック兄自身は、日本にも大都会にも来たいとは望んでいなかったとのことであったが、1953年、リーベンツェラー伝道会から日本に単身で派遣され、1955年12月8日にミンヘン姉妹と結婚。この時から日本で共に主イエス様に仕えることとなった。

 ベック兄は教会に関する考えの相違から伝道会を離れ、一人で主イエス様にのみ拠り頼みながら伝道活動を続けた。このことが彼と家族にとって、どれほど大変な道のりであったかは想像すらできないが、主なる神は常に彼に誠実を尽くし続けて下さった。

 個人的な交わり、家庭集会、喜びの集いを通して、神のみことばは伝えられて行った。当時のベック兄からの報告には「現代でも神が奇跡を起こして人間に新しいいのちを与えて下さる」とあった。63年間の奉仕を通して、新約聖書に記された模範に習う集会が各地で42ヵ所建て上げられた。

 信仰の試練からも決して免れ得ず、娘のクリステルは生後短期間で召され、1980年には娘のリントラウト(リンデ)が20歳でガンを患った。リンデの召天は、ベック兄姉の伝道活動に深い影響を及ぼす体験となり、病気と死を直視したリンデの証しは、日本のみならず多くの国の人々に信仰を促し、イエス・キリストへの一層強い献身を勧めることとなった。1986年には、娘のウルスラが自動車事故で召されている。

 今日は以上の引用で終わりにし、明日はその続きを載せさせていただく。私自身ベック兄の召天を知ったとき、この連載記事の第一回でほぼ同じ趣旨のみことばの引用を行なっている。なお写真は畏友が昨日わざわざ郵送で送ってくださったものである。開けてみたら1986年のお写真と明記してあり、上の記事とあわせて読みたいと思ったが、これはどうみても1996年のもの、あるいはもっと後年のものだと思う。) 

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