2013年6月15日土曜日

主は支えてくださる(転) ゴットホルド・ベック

パリバガテル公園 by Nobuo.Y   2012.6.17
しかし、驚くに値することはわれわれの主題のみことばにおける次の事実です。4番目ですね。「主の喜び」についてです。

人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。

と書いてあります。ある時、主が人間を見て、少しも喜ぶことができない時代がありました。現在も引き続き、罪の結果として混沌というものによって特徴づけられているのではないでしょうか。多くの人は、主に逆らい自分勝手な意志を利用します。人は、主の道を行きたくないと思います。それで、主はそのことを深く悲しんでいらっしゃったのです。創世記の6章を見ると次のような箇所があります。創世記6章5節

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。

とあります。 しかし、詩篇の作者であるダビデは37篇の23節を見るとわかります。全く違ったことが述べられています。すなわち、主は、主に属する者を見て喜ぶことができる、と明言されています。私たちが主に明け渡し、それによって、主が私たちの生活に秩序をもたらすことがおできになる時、それは主を非常に喜ばせます。しかし、残念ながら、しばしば起こることは私たちが人生のたづなを主の御手から取ろうと思い、その結果、いつも救いがたい混乱が生じるのです。私たちは、馬や騾馬に多かれ少なかれ似ているのじゃないでしょうか。ダビデは詩篇の中で32篇8節9節。次のように言ったのであります。

わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。

馬は行き先も不確かなところへ走り、疾走して行きます。騾馬はしばしば全然動かなくなってしまい、強情になります。何としばしば、私たちは馬か騾馬かに似ていることでしょう。けれども、主ご自身は私たちを導きたいと願っておられます。それによって、私たちの生活に秩序をもたらしたいと願っておられます。主は、手綱を握りたいと思っておられます。これこそ、主の喜びをもたらします。もちろん、主は、われわれのうちに何があるかをよくご存知です。主は、われわれの弱さ、みじめさをご存知です。主は、われわれを隅々まで徹底的に知っておられます。主は、将来を見てわれわれの失敗を直してくださると約束しておられます。主は、われわれを目的地まで導くことをわれわれに保障してくださいます。

それによって私たちは5番目の点に辿り着きました。すなわち「主の預言」、すなわち

その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。

私たちは、何としばしば倒れたことでしょう。しばしば罪を犯すことでしょう。しばしば自分勝手な道へ行ってしまったでしょう。イエス様を心に受け入れた人は、前に学びましたように「良い人」です。 それはその人が自分の債務を持って主のみもとに来てイエス様ご自身の義が与えられたゆえに、「良い」のです。私たちはたとえ救われていても、実際はしばしば過ちを犯し、主を辱(はずかし)めます。けれども、主はすべてを預言なさり、次のように約束してくださいます。「その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。」これはすばらしい約束なのではないでしょうか。

私たちが騙され、妥協してしまう時、われわれの肉に活動の余地を与えてしまう時、そしてそのことによって束縛される時、悪魔がわれわれを襲い、私たちが悪魔の手の中で全く無力となり、われわれの債務のことで絶望してしまう時、私たちは、次の主の約束により頼むことが許されています。

その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。

主は赦し、回復なさる備えを持っておられます。有名な箴言28章13節

自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。

とあります。主のみことばは、私たちが信者としてもはや罪を犯すことをできないとは、どこにも教えていません。われわれの死に至るまで、誰でも最も恐ろしい罪を犯すことが出来るのです。けれども、神の霊に活動の余地を与え、主にすべてを明け渡し、主に導いてもらいたいと思う者は主が勝利を与えてくださいます。ローマ書8章37節

私たちは、・・・圧倒的な勝利者となる

と約束されています。

しかし、私たちが倒れるとしても、主はわれわれを愛し続けてくださいます。わたしのところに来る者をわたしは決して捨てないと主は約束してくださいました。主は決して捨てないと約束してくださいましたが、われわれ人間は放棄してしまい、退いてしまい、驚いて逃げてしまうのです。けれども、主は決してそういうことをなさいません。主は回復してくださる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。これこそ、主の約束であり、そして主は主のみことばを守ってくださいます。主は主に属する者たちを栄光へと導いてくださいます。

(何と繰り返し同じみことばが語られていることでしょうか。それだけ私たちが倒れる者であることが真実であるということです。でも、その私たちは主を信ずる限りまっさかさまに倒されないと約束されているのが「主の預言」です。何たる主の恵みでしょうか。主を心から賛美しようではありませんか。次回でこのメッセージは終わりです。)

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