私の父の農場の一小作人は、このような忠実なとりなし手の一人でありました。彼の名はイエルンといいました。私どもの主は、彼の誕生の時から彼にきびしい制限を与えられました。彼は視力が弱かったのです。その結果、暮らしていくのが非常に困難でありました。しかし彼はかなり立派にやりました。ハウゲ派の良い習慣に従って、兄弟たちが貧民救済委員の門へ行かなくてもよいように、キリスト者たちは世話をしました。試練と困難とがイエルンの運命となりました。そして幾日も、暗いわびしい日が続きました。
しかし彼は、神の大能の御手に自分をひくくしてまかせました。そしてこの苦しい経験の学校で、祈りの聖なる技術を徐々に会得しました。彼は日夜その郷土のために祈りました。そして時来るや神は彼を高めたまいました。彼はついに全教区の霊的顧問となったのです。人々は近所近辺から彼の忠告と助けとを求めて、彼の小さな住居を訪ねました。そしてイエルンは彼らに何も他に助けを与えることができなくても、その優しい心の真実な愛をあたえることが出来ました。その上彼らのために祈りました。そして年がたつにつれて、多くの人々が明るい足取りで幸福な心をいだいてこの貧しい住まいを去ってゆくのでした。
彼の晩年はまことに貧しかったのです。ともに住んで世話をした二人の老婦人が私にこう言いました。彼は夜も目をさましているのがつねで、めざめている間、教区の人々のために祈っているのを彼らは聞いた、と。また彼はその祈りを、私どもがしがちなように軽く考えませんでした。普通私どもはいそいでいて、十把一からげに全部を主のもとに持ってゆき、一つの祈りですべてを祝福してくださいと願うのです。
しかし老イエルンはそのようにしなかったのです。彼は頭の中で一軒の家から次の家へと行きながら一人一人の名をあげたのでした。彼はまだ見ないけれども、誕生したと聞き知った子どもをさえその祈りの腕に支えて、恵みの御座につれてゆかねばならないと感じたのです。
このような人々は私どもにとって、どれほど大きな意味があることでしょう。彼らがいなくなった時は、その人たちのいた場所はどれほど空虚となるでしょう。イエルンが残した生活の仕方には何かすばらしいものがありました。彼の死は美しい昇天のようなものであろうと誰でも考えました。そして、信仰者たちは彼と一緒にいて、看護する特権を得ようと互いにきそったのです。しかし、主は彼らが勝手にきめた期待をきわめて手ぎわよく、くつがえされました。イエルンは誰もその死を目撃するものもないまま死んだのです。彼を看護していた人も、その時台所へ何かを取りに行っていたのでした。
イエルンの告別式は、私の郷里で行なわれた最大のものでありました。彼はこの教区に引っ越して来たので、親族はなかったのです。しかし、人々は、近隣からこぞって集まって来ました。また彼らはその棺の側に立って、父親を失ったように泣きました。神のみことばを聞こうともしなかった神をおそれない人々も、その告別式に来ました。そして、彼らも泣いたのです。
死においても、イエルンは他人の祝福でした。彼の生も死も、ともに、「求めなさい。そうすれば与えられます」との聖書のみことばの成就でした。
(『祈り』O.ハレスピー著東方信吉・岸千年訳191〜193頁より引用。)
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