どれもこれも手作りのおもてなしに招かれて※ 2012.5.21 |
神は、人類に対して背を向けておられるのではありません。ぜひこのことを、知っていただきたいのです。救われるために人々は、神に嘆願したり請うたりする必要はありません。神は初めから、人を救おうとして待っておられるのです。神はそのためにひとり子を下さいました。神は堕落した人類に対して、愛とあわれみをもって「きたれ、取れ、信頼せよ、受け入れよ!」と言っておられます。したがって、人は祈願したりする代わりに受け入れ、賛美しなければなりません。そうでなければ、あたかも神が祈願を受けなければ救いを与えて下さらないかたであるかのように思い込まれてしまいます。しかし実際は、人間のほうが救いを受けることを不本意とし、神の与えたもう救いを拒否しているのです。
神は、永遠のいのちという賜物を差し出して、人々に受け入れるようにすすめておられます。クリスマス・プレゼントを差し出す時、それを受け取るように懇願する必要はありません。プレゼントの贈り主がわからない場合は別です。しかし、贈り主がわかっていながら前に出されているものを受け取って下さいと懇願しなければならないとすれば、贈り主の誠意を無視し、はずかしめることになります。その差し出されたプレゼントを受け取って、感謝すればよいのです。それと同じように、わたしたちも神に対する態度を改め、その贈り物を受け取って感謝をささげようではありませんか。
イエス・キリストのいのちを受け取る
それ以外に何もできず
聖霊がわたしを造り変えられるから
わたしは新たに生まれ変わる
これだけのことです。あなたが信仰によってキリストを受け入れられるなら、必要ないっさいのことは聖霊がなして下さいます。キリストのあがないの死が救いの基礎であり、根拠であります。信仰は、キリストと罪人との間をつなぎます。したがって、「主イエスを信じなさい(あなたの信頼を主イエスに置きなさい—新英訳聖書)。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒16・31)。
あなたは、聖なる神のみまえにおいて罪人であり、有罪なのです。そうして、そこには「何の差別もありません」のです。しかし神は、あなたが罪から救われる方法を備えて下さいました。だからわたしは喜びをもって、きょうあなたに、「キリストは・・・わたしたちの罪のために死なれた」という神の声明を宣べ伝えたいのです。なんという栄光に満ちたすばらしいメッセージでしょうか。この喜ばしいおとずれを、受け入れられないでしょうか。人間の罪に対する神の救治策を受け入れなさいますか。おお、それならば失われた有罪の罪人であることを認めなさい。”有罪”であることを承認して、自分自身を神のあわれみにゆだねなさい。あなたは、それをなさいますか。それをして下さい。今、それをしていただきたいのです。
(『道は二つしかない』オズワルド・J・スミス著斉藤一訳24〜26頁引用。※昨年某氏宅に招かれて豊かな食卓の幸に七人で舌鼓を打った。すべて、ご招待くださった方に勧められるままであった。)
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