2013年3月4日月曜日

近江の箱舟(上)

何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。(新約聖書 マタイ7・12)

昨日は朝、近江電車のローカル線ならではの心暖まる出来事を経験した。

私はこの会社の一日乗り放題のフリー切符を利用して近江八幡に向かい、10時前に到着する予定で家を9時に出た。JRを利用すれば乗車時間は30分ほどで済むが、何しろJRの最寄り駅までは徒歩2、30分は優にかかる。それに対してこちらはわずか3分足らずで行ける。乗車時間はかかるが、JRの往復運賃に比べればフリー切符の方が割安なのでそうした。

ところが、ちょうど電車が「五個荘」という駅に到着し、今まさに電車が出ようとした時、乗ろうとして一人の方が反対ホームで下りた踏切の遮断機をかいくぐりホームから線路に降りてこちら側のホームに来ようとしているのが見えた。遠目に見てもその方は身体が不自由で、介助者もいず、すでに発車時間も過ぎており、どだい無理だから運転士は無視して発車しても良かった。

けれども、運転士の方は、じっと我慢してその方がこちらのホームに来られるまで発車時間を遅らせたのだ。電車は時刻通り走ってもらわねば乗客としては困るのだが・・・。田舎の二両連結の電車だが、乗客は2.30名だっただろうか。この間、皆さんはどんな思いだったのだろう。

豈図らんや、この人が下りているバーを自力で潜り抜けること自身が大変な難儀であることが徐々に分かってきた。バーそのものは何とかワンマン電車の運転士さんが持ち上げることはできたが、その人を誘導するにはまだまだ人手が必要だった。一人の方が車内から降りて助けにかかった。それでもモタモタしておられる。先頭車内から見ているのは、男性では私一人、あとは女性客だった。

しばらくして三番手として私も加わろうと車外に出て対岸ホームに近寄った。しかし、その方をこちらまで連れて来るのは私の非力ではとても無理だった。その時、後部車両に乗っていた二人の若者がさっと駆けつけて来て、その方の両肩を脇から二人で抱えてホームから線路へ降ろしはじめてくれた。車内ではご婦人方が「家族は、無責任だ。こんな形でおっぽり出すとは」と当然な声が聞こえていた時だった。様々な身体の不自由な人も介助者や駅員の手厚い助けを得て電車に乗り降りするのはよく見かける風景だ。しかし、ここは無人駅だ。また運転士はワンマン電車の運転士だ。連絡があったわけではない。たまたま、そのような一人の乗客に全員が遭遇した形になった。

果たせるかな、その間、何分かかったのだろうか。みんなの協力で、その人はやっと車内に乗り込むことができた。その男性は乗りこむや否や、立ち上がるさえ不自由な身体を起こし、さらにまわらぬ舌で「みなさん、ご迷惑をかけてすみませんでした」という意味のことを大きな声を出して謝られた。拍手こそ出なかったが、みな一様に大安堵した雰囲気が車内を覆った。もう、電車が遅れようが関係ない、無事その方をお乗せでき、電車が動き出したことをともに喜んだ瞬間だった。

この間、若い運転士さんは大変だったと思う。まして単線のローカル線だ。この電車は下りだが対向車として、上り列車が進行して来るかも知れない。咄嗟の自らの善意ある判断で自らの首を締めなければならないかもしれないからだ。でも結果的に良かった。私はこの乗り込んできた方に人間的な関心を持ち、積極的に話しかけていった。そして、今度は彼との話に夢中になった私が乗り継ぎ駅の八日市駅で下車することを忘れて、そのまま四つほど先の駅まで乗り越してしまうというハップニングに見舞われてしまった。

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