2013年3月7日木曜日

近江の箱舟(蛇足篇)

五個荘内を走る中山道と川
ところで、湖東地方の公共交通機関である近江鉄道の経営状況はどうなのであろうか。無人駅が余りにも多そうなので、思い切って最寄りの駅で聞いて見た。30数駅ある駅の中で常時社員が詰めていて開業しているのは、彦根、八日市、近江八幡、貴生川など数駅にとどまり、その他は、派遣社員による限られた時間の勤務より成り立っているか、全くの無人駅だと言われた。ご多聞にもれず、会社は赤字だということだ。伝統あるわが町の最寄り駅も今や派遣社員の勤務より成り立っていると知りびっくりした。

私はその方に、でも私にはありがたい電車なのですと申し上げ、日曜、月曜に続き三度目になるフリー切符を購入した。ただ今回は自転車を持ち込んだ。実は、月曜に日曜日に車内で遭遇したあの方の家を探し求めようと思い立ち出かけたが見つからず、この日は五個荘駅から自転車を駆使して再度挑戦しようと思ったからである。

前の日に足を棒にして探し歩いたお家が今度はスイスイと自転車で探せるのだ。そう思うとそれだけで気分は爽快だった。しかし、またしてもそう簡単には見つからなかった。前日、たまたまその町内で出会った郵便配達の方が「信号を真っ直ぐ行って、左側の二階建てのアパートの一階の一番左端だ」と親切に教えてくださった一言が頼りだった。

今回は交番を先ず訪ねたが、すぐ教えてくれると思いきや、個人情報に関わることなのだろう。そうおいそれとは教えてくれなかった。事情を話したらこちらを信用してくださったのだろう。やっと住宅地図で一緒に捜してくださった。ところがアパートなので最後まで確とした情報は得られなかった。ただ前の日よりはおよその場所がわかった。

喜び勇んで捜しにかかった割には、相変わらず捜し当てることができず、諦めて帰るしかなかった。その時、遠くから足のひょろひょろした男性が乳母車を押して来られるのが見えた。あの方かと遠目には見えたが、近寄ってみるとそうではなかった。でも勇気を出して、同じ身体不自由の方だから、ひょっとして名前を知っておられるのでないかと思い、聞いたが知らないと言われる。ただアパートならわかると言われた。その方が指し示された方角のアパートは郵便配達の方が言われた条件にぴったりだ。訪ねてみるとまごうことなく彼はそこにいた。室外から声をかけ来意を告げた。彼はすぐ動けず声だけが聞えたのだったが、言いようもなく嬉しかった。私が彼のベッドまで上がり込み、話するうちに彼の身の上はさらに詳しくわかった。

男所帯で雑然とした部屋に入り彼を心から気の毒にまた愛おしく思った。でも、イエス様はあなたの苦労を全部知ってくれてるよ、立派になる必要もない、お金も必要ない、ただイエス様を信ずれば良いのだよと言って、一緒にお祈りした。最後、彼も大きな声でアーメンと言った。主が私たち二人を合わせてくださり、同じ思いにまで導かれたとしか言えない。ほんの十数分しかお暇(いとま)しないで別れた。私はそれで良しとした。心は不思議な感動で満たされ、夕闇迫る中、家路を急ぐため、無人駅である五個荘駅に急行し、まもなく到着した電車に乗った。

やれやれこれでやっと家に帰れると思ったのも束の間、運転士さんが飛んで来て、自転車は駄目だ、土日ならいいが時間オーバーで駄目だと言う。私は何とか目をつむって乗せて欲しいとひたすら頼んだ。結局私が引き下がるしかなかった。自転車を投げ捨てて、乗るわけにはいかない。ここは自転車で中山道を走るしかないと覚悟を決めた。乗り切る自信はとてもないが、このことは主のくださるもう一つの大切な訓練のように思えたからだ。もう真っ暗な夜道をいつ果てるともしれない自転車による孤独な旅を耐えに耐え家へと帰ったらほぼ二時間近くかかっていた。距離数を調べてみたら13キロあった。

いきなりの遠出ならとても体力は持たなかっただろうが、何しろ前日、彦根城に登り、降りて来ては、五個荘を歩きまわったりしていたので十分ウォーミングアップはできていたのだ。初めは近江電車の運転士さんが粋なはからいをしたと賞賛したが、この日の運転士さんは私の乗車(自転車を持ち込んでの)を拒否したわけで私にはとても賞賛できたものではない、逆に呪いたい思いだった(※)。

しかし、考えてみると、イエス様の用意されている救いの箱舟もすべての人に用意されているが、場合によっては拒否されるということに思い至った。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネ3・16)

イエス様はすべての人間の罪を赦すため、十字架にかかられた。何と素晴らしい愛だろう。しかし、その恩恵は信ずる人にしか与えられない。別にイエス様が意地悪されているわけではない。ちょうど運転士さんが精一杯からだの不自由な人を乗せようとされたのは彼の愛のあらわれだが、今回の帰りに私が遭遇した運転士さんは特別私に意地悪したわけではない。ルールに則っての処置だったのだ。うまく表現できないが、世の人はそのことを知らない。知ろうとされない。信じてただ箱舟に入れば良いだけなのに・・・。

(※近江電車はサイクルトレインという企画で自転車持ち込みを認めている。ただし平日は9時から16時までである。乗ったのは16時以前だったが帰りが18時近くになった私の場合その規定を大幅に上回っていたから運転士さんの処置は当然であった。)

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