2016年3月11日金曜日

王なるお方があなたを必要とされている

それをほどいて、引いて来なさい。・・・主がお入用なのです。(マルコ11・2、3)
 
 恐らく私たちは、「誰も私を必要とはしていない」というつまらない考えを持っていることでしょう。まことの王なる方ご自身が私たちを必要とされている時、私たちは決して再び暗やみを手探りする必要はありません。この必要は能動的な愛、幸福な愛、前進する愛、喜び、待望する愛からくるものです。それはイエス様の愛のもっとも強い説明です。同情やあわれみの愛にはるかにまさったものです。それは主の民を喜び楽しむものです。主の民は主がいるところに、今も、また常に、主とともにいるべきだという意欲(すなわち主のご意志が大きな力を発揮する)にある愛です。終ることがなく、分離を許すことのない愛です。すなわち対象物なしには行使し得ない愛です。

なぜ、あなたは主なしで行なおうとするのですか
主は呼んでおられます、何回も。
「わたしのところに来なさい、わたしのところに来なさい」と
おお、主の呼び声は空しく終るのですか
主は望んでおられます、あなたが主とともにいることを

あなたも主を求めないのですか
あなたは主なしには出来ないのです 
主は望んでおられます、実にあなたを望んでおられます

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-11-the-king-needs-you/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97235です

第3章 声と筆によって(1)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより

 私たちは長々とフランシス・ハヴァガルの内面的な霊的成長を子ども時代から成人に至るまで見てきたが、ここで向きを変えて彼女が知的な歩みをどのように歩んできたかに注目してみよう。
 彼女の本格的な雑誌で最初に認められることになる貢献は、彼女の良く知られた賛美歌「私はあなたにこの身をささげまつる"I gave my life for Thee"」であったようだ。それは1858年のドイツ訪問の間にその想が導かれたものだ。何気なく寛ごうと腰を下ろそうとした時、向かい側にあったそのキリストの受難の絵を通してであった。聖書がインスピレーションとなって彼女の心にひらめき、ただちに紙切れに書き留めた。しかし彼女は仕上がりに満足せず、火にくべた。しかしその紙が害なわれず飛び出したので、彼女はそのままにすることを決心した。ややあって彼女はそれらを父に見せた。父は大層気にいって、それらにふさわしい旋律「Baca」を書いた。
 これらの詩はその後、Good Wordsに登場し、編者からのリクエストに応える形で同一のペンからなるはるかに詩的な作品となる機会を招いた。)

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