2016年3月19日土曜日

絶えず聖められよ

ハヴァガルが王女に差し上げたいと思った本

いつもあなたは白い着物を着(ましょう)伝道9・8
 
 いつもですか。どのようにしてそれが出来るんですか。白い着物はきれいに洗われても、またじかに汚れるのです。しかし神様は言われます。「いつもあなたは白い着物を着(ましょう)」と、主は不可能なことを行なうようには話されませんでした。あなたは着物を五分間とは白く保てないかも知れません。軽率な考えが着物の上に埃のようにやって来たり、悪い言葉が大きな黒いしみとなり、ずっと以前のいくつかの予期しない行動が泥沼に悲しくも落ち込ませるかも知れません。そしてあなたは悲しくなり恥ずかしくなることでしょう。

 しかし、なぜこのことはすべて何度も繰り返し起こるのでしょうか。私たちの愛する、長く苦しまれた救い主以外の誰も私たちに耐え、私たちのためにどんなことをするのも諦められないほどまで。なぜそうなのでしょうか。主の尊い血潮が私たちをすべての罪から私たちを聖めるのです。「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1・9)恐らくあなたはこのことについて考えもしなかったでしょう。今日、このことをしていただくように主に信頼し、あなたがかつて過ごした日々の中でこんなに最も幸せな日があったか考えて見なさい。


そして主は私のためにこのすべてをなさる。
なぜなら悲しみのうちに木にかけられ
主はかつて罪人のためにかけられた
罪人の罪を拭い去るために
主は今も日々喜んでおられる 
主に信頼する者をきよくするために 
 
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-19-continually-clean/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97243です。

第3章 声と筆によって(9)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 もちろん、この聖別された若い才能ある人にとって、自分の詩や音楽が神様のお役に立ち祝福されることは深い喜びであった。フランシスは自らのものとなった高い栄誉をしっかりと受けとめた。「『イエス様のために歌うこと』は文字どおり、私にとっては私が愛する主からゆだねられた最大の個人的なまた直接の権能であるようだ。そのために与えられる機会はしばしば最も興味あるものであり、大変祝福されて来た。私の小さな詩『イエス様のために歌うこと』は個人的な体験に基づいている。」とフランシスは書いている。
 このつながりから言えば、フランシスの主のための働きの一例と関連するもので場違いのものはないのかもしれない。彼女の働きは絶えず完成され、一方では不思議に聞き入れられた祈りの結果であった。
 フランシス・ハヴァガルは親愛なるヴィクトリア女王の最も若い王女のために特に祈ることを習慣としていた。そしてある日、バロネス・ヘルガ・フォン・グラム※によるアルプスの花々や風景が美しく描かれた絵をともなう優雅に飾られた『Life Mosaic』の校正刷りの改訂する時、叫んだ。「おお、私はベアトリーチェ王女様にこの『Life Mosaic』を差し上げたいものだ!」
 しかし、フランシスが王女殿下に近づく手段は全然ないように思えた。だから彼女はそれを特別な祈りの課題にしていた。

 ※私たちはこの人の作品を次のサイトhttps://en.wikipedia.org/wiki/Helga_von_Crammで見ることができる。一見されよ。) 

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