2016年3月15日火曜日

繁栄への道

あなたの土地から取れる初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。(出エジプト記34・26)
神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6・33)
 
 初穂は特別取っておかれねばならないものであります。このことは聖書をとおしてすべて有効であることがわかります。初穂が示唆されていることは、私たちの感謝に対する暗黙の訴えがあります。まさに初穂と言うことばは受け入れられたことの感謝であり、将来への恩寵であることを示しています。

「初穂の最上のものを、あなたの神、主の家」に携えることは、信仰あるイスラエル人にとって、神様が授けようとしておられるすべての豊かさに対する祈りを指すようなものでありました。また、そこには喜びあるものがつねに意味されているように見えます。「初穂の日」は喜びの日であるべきでした。(民数記28・26と申命記16・ 10〜11を比較してください)

 そこには忠誠に対する訴えもあります。私たちは私たちに増し加えられるすべてのものの初穂で主をほめあげるように命令されているのです。そしてそれは将来への道であります。なぜなら、次の言葉に「そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ」(箴言3・10)とあるからであります。この命令に最初に私の注意を向けさせた友人は、取っておくべき初穂、すなわち収入の最初の授かり物を神の働きのために割り当てることは、必ず残りのものに対する祝福をもたらし、このことが整然となされてきて以来、実際にそのようには初物がささげられない時よりも、初物がささげられた時の方がはるかに増えて行くようだと言いました。

 一方、私たちが初穂をあらわすことは特別に喜ばしい行為であるべきです。初穂は私たちと神様との聖別された関係の象徴であります。神様はご自身の意志のために私たちを真理のみことばによってお生みになりました。それは、私たちが主の被造物の初穂の一種たるべきものであるからです。 

 この光を初穂に投げかけるとき、このような私たちの従順さをあらわす小さな行為はどんなに甘美で神聖で豊かな象徴であることでしょうか。そして、どんなに初穂は私たちに天国にいる兄弟姉妹が、まるで王座の前で新しい歌を歌っているかのようにいることを思い起こさせることでしょうか。なぜなら、彼らは神様に対して、また小羊である方に対する初穂であるからです。

主を讃美するために聖別してください
祝福された天使はいかに更なる真実な祝福を携えていることでしょうか。
前奏曲はやわらかに、たとえどんなに明瞭であっても
聖別された音色は歓喜のあまり震えるのです
選ばれし聖歌隊も集まりましょう
そしてすぐにともに讃美しましょう
全宇宙が耳を傾けています

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-15-the-way-to-prosperity/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97239です。

第3章 声と筆によって(5)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 ヒラーはフランシスに一冊の練習本を推奨した。彼女はその本を何曲か作曲する前に念入りに読むことに決めた。もちろん彼女はアマチュアのやり方で以前は長年和音を学んでいたのであった。それは主に毎晩寝る前に彼女がたどりつくことができた主題に関するたくさんの論文を読んだり、眠りに陥る前に頭の中で繰り返し練習するというやり方であった。しかし、彼女が正規の「学的な道」を経ていないことを聞いた時のこの偉大な作曲家の驚きと懐疑は大いなる賞賛となっていたのだ。
 言うまでもないことだが、この才能ある音楽家でかつ詩人はすぐれたピアニストであった。彼女の姉は言っている。「よく妹は私のためにイザヤ12章を歌詞にして諳んじて朗誦してくれた。特にその三節の「あなたがたは喜びながら、救いの泉から水を汲む。」などはほんとうに水が流れるかのような音楽であった。声の調子は水が喜んで滴り落ちるきらめきがあり、その幻想は全く完全で、人の魂が喜びでもって生き生きとよみがえらされ、水しぶきをあびるような思いに満たされた。) 

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