2016年3月22日火曜日

神様の宝の宝庫への鍵

おまえは自分の作った物や財宝に拠り頼んだ(エレミヤ48・7)
 
 私たちを益するものは、主の良い宝から継続的に引き出されるものに過ぎません。それは「キリストの御顔にある神の栄光を知る知識」(2コリント4・6)においてもそうです「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(2コリント4・7)

 私たちが他の人々を豊かにできるのはただ神様から与えられた宝をもってしかできません。他の人にひとことばをあげたいと思う時、通常、私たちが彼らにふさわしいと思っていることを投げかけるのでなく、主が私たちに新鮮に与えてくださった何かの宝を手渡すだけなら、もっと力をもってそのことばは来るようにみえます。

 主が私たちに宝の幾つかの輝ける断片を開かれる時、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10・8)と言われていることを忘れないようにしましょう。また、「王の宝物倉を捜させ」(エズラ5・17)ないで、宝物を何かもっと別のところで開けようとして怠惰に待って立っていることがないようにしましょう。王の宝物倉こそ、宝物がしまいこまれ、私たちの王の法令や記録が見つけられる巻物の倉庫なのですから。

 それらはまことに隠された財産です。私たちは霊的な宝物の自分自身の倉庫を、記憶であろうと経験であろう恵みでさえも信じてはいけません。

主の愛が鍵、そして主の栄光が基準です
すべてを豊かにする恵みと知恵と光の
あなたには、この無限の宝が開かれるでしょう
あなたには、キリストのうちにある、まだ探し求められていない富が開かれているのです

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-22-the-key-to-gods-treasure-house/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97246です。

第3章 声と筆によって(12)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 フランシスの作曲に関して、私たちがほとんど「逐語霊感」と呼んでいる彼女の強い感覚はあらゆる経験を積むことを可能にした。それは彼女が良いことであれ悪いことであれどんなことも等しく神様のご意志の秩序によるものだと信じて、完全に服従する精神の持ち主であったことと関係があった。
 このようにして、発行所で起きた火災によって六ヵ月の労作の結果が駄目になり、彼女が控えも、記憶を支えるメモも持っていなかった時、フランシスは自分が余りにも気をもんだので本を仕上げることができず(それはSongs of Grace and Glory〈恵みと栄光の讃美歌集〉の付録ではあったが)、彼女のもう一つの作品「own choosing and planning(自身の選びと計画)」を早めさせることだったのかもしれないと受け取った。その結果、彼女は神様が主のためにもっと根気強くこれらの賛美歌集を仕上げる別の機会を恵んでくださったことに感謝した。) 

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