2016年3月29日火曜日

私の神と私

神は、私について定めたことを、成し遂げられる(ヨブ23・14)

 このみことばが内包していることは驚くべきことだ。人は聖書の全書簡を現在と未来、見えるものと見えないもの、恵みと栄光を見るために読むべきだ。それらは主が私たちのために定められたことだからである。また、このみことばは「神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです」(エペソ2・10)ということをも含んでいる。

 それらの成就は私たちによるのでなく、主による。なぜなら主が「あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださる」(ピリピ2・13)からだ。また「私たちのなすすべてのわざも、あなたが私たちのためにしてくださったのですから」(イザヤ26・12)だ。美しい昔の訳は主は「御手のうちにある目的を遂行される」と言っている。それは今日の私たちにとり、みことばを大変現実のものとさせるのではないだろうか。

「私の手にある」というまさにその事実、今日の自分特有のちょっとした働き、これが私が管理できない要因であり、私が自分自身の力を誤算して着手すること—これこそ私が主に「私のために」していただくように頼むことであり、その結果、主が成し遂げてくださることを確信し安心することなのだ。「正しい人も、知恵のある者も、彼らの働きも、神の御手の中にある」(伝道9・1)のだ。

全生涯の長きにわたって、私たちは内外にその必要を求めている
それは日ごとに生ずる必要、忍耐・知恵・力、そして恵みだ。
必要のすべては、とりわけイエス様を必要としている、
私たちは主を求めている。
そのあなたの必要を神様がすべて与えてくださるとは、
どんなに恵み深い主のお答えであろうか。

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-29-my-god-and-i/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97253です。

4章 ただあなたのために(3)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 スイスからすぐ後に、フランシスはスコットランド高地地方を行き来した。その景色は彼女を大変喜ばせた。
 1871年にフランシスは再度友だちのエリザベス・クレイと一緒にスイスを訪ねた。二人は数週間続けざまのもっとも楽しい旅行を経験した。私たちの女流詩人は有頂天になってアルプスの夜明けと日の出を描写している。「私たちは太陽が出て来た時、ティンダル※の述べている"daffodil sky"を見た。東の空にまるで単なる通常の太陽の代わりに次には何か確かな天的なものがやってくるにちがいないかのように静かにして期待にそぐわない栄光ある光だった。南西には崇高な山々が白く全き清澄さをもって屹立していた。それはまるで眼下の深いローヌ川の渓谷が真っ暗で墓のようであったのとは対照的に、山々の上には青白くきらきら輝く月を伴って、よみがえりを待っているかのようだった。※ティンダルはhttps://en.wikipedia.org/wiki/John_Tyndallを参照のこと。) 

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