2016年3月13日日曜日

内に住まわれる主

主はシオンにおられないのか。シオンの王は、その中におられないのか。(エレミヤ8・19)

 王が来られるのを待ち望むことは、どんなに期待に満ちていることでしょうか、またどんな用意をしていいのでしょうか、どんなに緊張することでしょうか。多くの者は一目見んとして、数人の者には完全に見られ、お気に入りのごくわずかの者にはおことばが、このようにして花絵巻は夢のように過ぎ去って行くのです。権能ある方が来られます、しかし留まられることはないのです。

 しかし、私たちの王なる方はこのような来方では来られないのです。この方は来られても通り過ぎられず、「あなたのただ中に住む」(ゼカリヤ2・10)ために来られます。単に集合的な教会にだけでなく、個々の信者のうちにも住むためにです。

 私たちは祈ります。「いっしょにお泊まりください。」(ルカ24・29)それに対して主は三位一体の神として気品ある形でお答えになります。「わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」(ヨハネ14・23)この私たちとともに住まわれると言う気宇壮大な出来事さえも、主のへりくだりや主の身近に侍ることの完き驚異にくらべれば及ぶべくもありません。なぜなら、主がそのことを語られる次の時には主は「ともに」を「うちに」に変えられ、その時以来「私はあなたのうちに」「私は彼のうちに」「私は彼らのうちに」と語られるだけであるからです。
 
確かに、私はあなたとともにいます 
そのことを私に感じさせてください、愛する救い主
あなたが私とともにおられる大変尊いお方、
また大変身近におられることを知らしめてください 
今日、この厳かな瞬間、あなたご自身とともにいることを
すべての者が今も待ち望んでいます
あなたの赦し、あなたの臨在、あなたの平安で我が魂は満ち足りるでしょう。

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-13-in-them/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97237です。

第3章 声と筆によって(3)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 フランシスが音楽作曲の上で素晴らしい賜物が与えられていると最初に気づいた正確な日付は明らかではないが、1860年から1865年の間のどこかであったことは明白である。
 1865年も終ろうとする日々を目前にして、フランシスはドイツの友人たちを再訪問した。そして自らの作品の良い点について、ドイツの音楽家ヒラーの意見を伺う機会を得た。このことは以前の講師であるシュルツ・ベルグ牧師の強い要請によるものだったが、彼女の気質にはひどく反するものだった。なぜなら彼女は控え目に告白している。「私はそのような方からは酷評以外には何もないことを予期していた」
 当時、父親と継母はボンに滞在していたが、継母はフランシスを伴って、この偉大な作曲家との面接を取り計らっていた。この作曲家は彼らを親切に受け入れ、黙って、その若い女性が彼の指図通りに従った主旋律の音域を試験し始めた。
 およそ四分の三ほど終った時、突然彼は尋ねた。「あなたはどんな指導を受けてきたのですか」「私は彼に話した」とフランシスは説明している。「ハザーレー氏が私の最初の6曲を選んでくれ、音楽的なことで難しい点は折りにふれ父に尋ね、一般的な音楽の話題も父としてきました。」ヒラー氏は言いました。「そのことについて私は何も心配していません」「私が聞きたいのはあなたはどんな正規の音楽コースを履修しどんな教授についたかということです」私は彼にその種のことは何もしていないのです、と言った。すると彼は私を厳しい顔で見つめて私が本当のことを言っているかどうかを確かめた上で、音楽の話題にもどって、「そうとしたら大変優秀ですよ」と言った。) 

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