2016年3月20日日曜日

心の中の孤独感を満たすためには

浅間山 明日春分  雪かむり

この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。(ヨハネ4・13〜14)

 まず、あなたはまた渇くことは全く当然だと知っています。地上であなたを満たす何かを見つけようとしても無駄だということです。次にイエス様はあなたに与え、あなたを満足させ、喜ばせる水をお持ちであるということです。三つ目は、あなたがこの水を飲み続ける限り絶えず満足し喜べるということです。四つ目は、あなたはそれを誰からも得られないし、またそれ以外のどんな他のものも得られないということです。イエス様がそれを与えられ、与えることの出来るのはイエス様だけだということです。五つ目にそのことはあなたに当てはまるに違いないということです。主が仰っているのは「誰でも」です。それはいかなる人でもという意味であります。

 そして主は仰る。「ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。」(イザヤ55・1)そしてさらに「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。」(ヨハネ7・37)そして「わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。」(黙示21・6)

あなたは、見出す
主のうちに、心の内にある「孤独感」を満たすもの
主のうちに、苦悩に対する、そして罪に対する即効的な解毒剤
主のうちに、心の中の言うに言われぬ必要に対する満足感
主のうちに、あなたが探し求めて来たすべてのもの、まことに人生の目標

 (今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-20-how-to-fill-an-aching-void/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97244です。

第3章 声と筆によって(10)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 ロンドンへの続く訪問の間、彼女はアマチュアのある音楽会の夕べに出席していた。一人のイタリヤ婦人が美しい歌声で歌うのに大変関心を持っていたからである。
 間もなくフランシス自身が歌うように招かれ、ヘンデル作曲のうちの一曲を演奏してから彼女の歌を仲間に披露するように頼まれた。彼女は「あなたは見たことのないお方を愛します」と「彼女はいつもたいへん喜んで歌った」という二曲を選んだ。その歌詞はみことば「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており」と喜びの規模を上げ、それから深まる愛情の感動すなわち「ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」であったと姉は証言している。
 彼女がピアノを弾き終えるや、そのイタリヤの婦人は目に涙を一杯浮かべ、「ハヴァガルさん、私はあなたがうらやましい。あなたのことばと表情は私が持っていないものを持っていますね」とささやいた。 ) 

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