2016年3月7日月曜日

結び目

堀川 名古屋市内※

私は、私の愛する方のもの。私の愛する方は私のもの。あの方はゆりの花の間で群れを飼っています。(雅歌6・3)

 信者が「私はあなたのもの」と言うのは単なるこだまに過ぎません。信仰が与えるきよさ、本然の声に近づくことにより受けたものです。そう、「あなたは私のもの」と言われることのこだまに過ぎないのです。それは権能あるお方の音楽の応答として聞こえてくるものです。御霊が備えられている心がそこにはあるからです。

 この天にある音楽の記録は決していかなる地上の岩にも起源はありません。神様が御子の霊を私たちの心に遣わしてくださり、私たちが「アバ、父よ」(ガラテヤ4・6)と叫ぶときだけなのです。油注がれてはいたがまだ正式に冠を授けられていない王がアマサイに会いに出かけて行き、御霊が彼に臨んで「ダビデよ。私たちはあなたの味方」(1歴代誌12・18)と言った時だったのです。

 だから、こだまの喜びのうちにある声を聞き逃してはなりません。耳を傾けなさい。そうすれば高きところから祭司としてとりなしをしておられる隠れた高きお方の声を聞き落とすことはないでしょう。「彼らはあなたのものだからです。わたしのものはみなあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。」(ヨハネ17・9〜10)

その時あなたの貧しい愛情を持ち出しなさい、そしてこの試みによって
隠された深みは見抜かれます、
あなたはあなたが主を一番愛していることを知っています
それは主のあなたに対する大きな愛の弱々しいこだまにすぎません
しかし、主の耳にはそれぞれの記録はやさしく記され、
そのハーモニーは真実に聞こえているのです。

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/march-7-the-tie-that-binds/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97231です。

第2章 光彩(13)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 しかし、間もなく私たちは彼女が「たくさんの罪からなる怒りをともなう昔の困難な道に逆戻りした」ことを知る。「私が思うに」とフランシスは彼女の自伝の中で自らの内面生活を語る。「私のすべての悩みと疎外感の根っこにあった大きな問題は私が今も自分自身を神様に無条件に明け渡していないことにあり、このことが解決されない限り、私には平安は訪れないであろうということだ。私はそう確信している。私には悔い改めるべきことがあまりにもたくさんあるのだ。世間の友だちの意見を何よりも恐れること、そして世を愛すること、それに引き換え、何と天的な願い、愛においては冷やかであるかということだ」

 ※「神います 啓示の結び 連なりて 古え乗せて 堀川流る」日曜日、新しく知己を得た友人に昼食場所を案内されて歩いているうちにこの川の橋を渡った。思わずカメラに納めた。私の名古屋のイメージになかった場所だ。幼い時、象を見に、東山動物園に連れられて行ったこともある。何を隠そう、坂田昌一氏に師事しようとばかりに臨んだ大学受験で一敗地にまみれることになる初陣の地でもあった。そんな名古屋にこの歳になって一年に一回は訪れるようになっている。主のご計画は計り知れない。) 

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