さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。(マルコ3・13)
主イエスご自身の御手に触れて肉体の病をいやされた人々が不思議にも十二弟子の中に見当たらない。女弟子の中にマグダラのマリアを見るだけである。御心にかない主のもとに来たって一生を主にささげた人たちはやはり始めから主の人格と主の教訓とに心をひかれた人たちであった。心と心との結合である。
少なくとも主の御心の一部に触れた人でなければ、いくら主のお体に触れてその奇しい御力の出でくるのを感じても、そのことにより永久に主から離れないかと言うと、そういうわけではない。医者から見放され祈りによっていやされた人が今では信仰を失っている人を随所に見受ける。
とうてい肉は肉であり、霊は霊である。しかし肉を階梯(かいてい:はしご)として霊の世界に進み、霊のまじわりにおいて主の御姿をながめて恍惚たる心境にまで達したいものである。
祈祷
主イエスよ、私たちは肉のことを思い、肉のことに支配されます。なにとぞ今少し霊の世界に生き、霊においてあなたとまじわり、御霊にかなうあなたの弟子の一人としてくださることをお祈り申し上げます。アーメン
(『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著44頁より参考引用、題名は引用者が便宜的につけている。)
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