2022年2月19日土曜日

すべての支配と権威の武装を解除するお方

確かに、強い人の家に押し入って家財を略奪するには、まずその強い人を縛り上げなければなりません。そのあとでその家を略奪できるのです。(マルコ3・27)

 『強い人』とはサタンを指すのであることは言うまでもない。これを『縛り』得る者はただ一人すなわちイエスご自身を指すのであることも明白である。

 主は明らかにこの世はサタンの王国に属するものであって、主はこのサタンの王国を打倒して神の王国を建設せんがためにこの世に来たり給うたのであることを熱心に主張された。

 人はサタンの王国に属するか神の王国に属するか、二者の一つを選ばねばならぬ。灰色の中立は存在し得ない。神の王国を建設せんとするには必ず先ずサタンに一撃を加えねばならない。これはキリストの御力によるにあらずんば、私たちのなし得るところではない。

 現代の信者がサタンの人格的存在を認めないのは、神の国の建設に大いなる引け目である。

祈祷

主イエスよ。あなたは『私たちを悪い者からお救い下さい』と日々祈るようにお教えくださいました。どうか私どもは呑気な考えを捨て、『ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを探し求めながら、歩き回っている』悪魔との白兵戦の最中であることを認め、懸命に格闘をなすことができるように導いて下さい。アーメン

(『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著49頁より参考引用、題名は引用者が便宜的につけている。昨日、私は生意気にも、青木氏の3・24〜25のみことばの解き明かしを、処世訓に堕していると、さも自らが何もかも知っているかのように感想を書いた。一晩、そのことを瞑想するうちに、イエスさまが私たちに仰っていることは理義明白な格言であり、処世訓であり、それに則って、青木氏は主に対して「争う」心の本質、罪からの解放を祈っておられることを遅まきながら知った。まことに自らのうちにある「高慢さ」は底知れず深いものだ。天国におられる青木氏に謝れるものなら、謝りたい。そして、青木氏を通してマルコの福音書を1節ずつ読ませていただく僥倖・恵みを感謝していることを報告したい。)  

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