2022年2月15日火曜日

雷の子ヤコブ

こうしてイエスは十二弟子を任命された。そして、シモンにはペテロという名をつけ、ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。(マルコ3・16〜17)

 この三人は十二人の中でももっとも近くイエスのみそばに置かれた人たちである。その中でももっとも惜しい人はヤコブではなかったかと思う。多分ヨハネの兄であったからでもあろうが、四福音書においてはいつでもヨハネより先に書かれてあるところを見ると、ヤコブの生きていた間は弟のヨハネよりも頭角をあらわしていたに違いない。のみならず十二人の中で一番最初に殉教の死を遂げたのもこの人である。

 イエスの死後教会の中で最も目に立つ人であったから捕らえられたのであろう(使徒12・1、2)。(※)早くイエスに殉死したこのヤコブが無言の中に血をもって私たちに語るところは大きい。

祈祷

ああ、雷の子ヤコブよ、真っ先に主イエスの十字架に殉死せるゼベダイの子よ。あなたの一生は短くして、しかも大いなるかな。主よ願わくは私にも彼の心を与え給え。血をもって語る彼の声に耳を傾けさせてください。アーメン

(『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著46頁より参考引用、題名は引用者が便宜的につけている。※この箇所には「ヤコブが殉教した心持ちを察しては、乃木大将の明治天皇に対するものと似通ったところがあるように感ぜられる」と青木さんは書いた。明治3年1870年生まれの青木さんの心情は理解しつつも、私はこの表現は適切でないと思う。そのために、バウム・ゲルトナー『十二使徒との出会い』に書かれている一文を抜粋ではあるが紹介する。

 ヤコブはイエスにはじめて出会ってから、17年経って、イエスの苦難にあずかる者となりました。そのころ、無言の弟子ヤコブは、教会の指導者となっていました。・・・やがて迫害の嵐はエルサレムの教会をおそい、ヘロデ・アグリッパ王が、人々を恐怖におとしいれるしめしとするために、クリスチャンを探し求めていたとき、ヤコブが選ばれ、ペテロさえも二番目にリストにあげられました。このにがい杯を飲みほし、血のバプテスマを受けたのはヤコブでした。

 無言の弟子、ヤコブは、ご自身の生涯の血をもって、自分のために天国の門を開いてくださった救い主、十字架の死をもって、自分のためにすべての喜びとすべての永遠のいのちの不思議とをかちとってくださった救い主を、否むことなく、静かに死につきました。

使徒12・1〜2、マルコ10・38〜39など参照のこと) 

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