2022年2月17日木曜日

みなは食事する暇もなかった

イエスが家に戻られると、また大ぜいの人が集まってきたので、みなは食事する暇もなかった。イエスの身内の者たちが聞いて、イエスを連れ戻しに出て来た。「気が狂ったのだ」と言う人たちがいたからである。(マルコ3・20〜21)

 イエスというお方は何と使命に忠実なお方であろう。弟子らはイエスを見て、『あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす』との句を思い出し、身内の者は彼を『気が狂ったのだ』と思ったほど一生懸命に働かれた。

 何事でも一生懸命にやる人を見ると何か神々しいものがある。子供が遊ぶのでも一生懸命にやっているのを見ると何だか良い感じがする。大した仕事でなくとも一生懸命にやりさえすれば何かの効果を挙げる。無能の者でも一生懸命になりさえすればついに天才をも凌ぐ。

 神は人間の中に神ご自身の力を貯蔵しておられる。一生懸命はこれを取り出すことの鍵である。イエスが『気が狂ったのだ』とか『悪霊にとりつかれている』と評されるほどに使命のために勤しみなさったのに私どもが怠けていて良いのであろうか。

祈祷

神よ、あなたはつとめ働く者を喜ばれます。10タラント与えられて10タラントを働かす者はさらに1タラントを増し加えなさいます。けれどもこれを地に埋める者はその1タラントさえ奪い去りなさいます。(※)願わくは、私をして小さい私の使命のために一生懸命になることができるようにして下さい。アーメン

(『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著48頁より参考引用、題名は引用者が便宜的につけている。※引用者註:言うまでもないが、この祈りの中のタラントの話はマタイ25・1〜30のイエスさまの話が念頭にある。なお、文中の『あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす』の句は詩篇69・9、ヨハネ2・17にある。時あたかも冬季オリンピックの氷上における選手の一挙手一投足に釘付けにされている。果たして私たちはどれだけ「福音」の選手として働いているか、我が身を思うととても顔をあげられない!) 

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