2022年2月20日日曜日

聖霊を汚すな

まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。(マルコ3・28〜29)

 イエスがこれほど憤慨されたことは他に見ないようである。

 ご自身については盗賊バラバ以上の悪人として取り扱われても黙々として刑場に曳かれ給うたイエスであるけれども、眼前に聖霊の鮮やかなお働きを見て、その本心にはこれを知りながら、単なる嫉妬心から、これを瀆(けが)して悪霊の働きだと称する無良心の言動に対してはどうしてもこれを赦し給うことができなかった。

 かかる言動は聖霊の働きであるところの神の国建設の意識的否定であり、サタンの王国の逆宣伝である。いかにして許されるであろう。されば私たちの小さい生活においても、嫌いな人の善を見て、これを否定し、逆に悪く解釈するようなことはこの罪と同種類であるから慎まねばならない。

祈祷

神よ、静かなる沈黙をもって私たちの中に働き給う聖霊の働きを感謝申し上げます。私が好まない人の中にあなたの働きを見る時も、願わくは、私をして快くこれを賛美する心を与えて下さい。アーメン

(『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著51頁より参考引用、題名は引用者が便宜的につけている。イエスが聖霊の働きにより、悪霊を追い出されているのに、その聖霊の御力を認めず、悪霊により悪霊を追い出すというあり得ない理義明白な真理に背く論戦を張ってきた律法学者の心の底にあるイエスさまに対する妬みに主はメスを入れ、最大級の警告を出されたのだ。主の警告はつねに首尾一貫している。『御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている』ヨハネ3・18『信じない者にならないで、信じる者になりなさい』ヨハネ20・27とは、改めて主の切なる願いであることを思う。と同時に青木氏が私たち人間同士の交わりの中で起こり得る、自己中心で自分を良しとし他者を排斥し高ぶる行動にメスを入れ、祈りとされていることに感銘を覚えた。)  

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