2022年2月21日月曜日

わたしの母、わたしの兄弟たち

すると、イエスは彼らに答えて言われた。・・・自分の回りにすわっている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。神のみこころを行なう人はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マルコ3・34〜35)

 まだイエスを十分知らなかった母や兄弟、イエスが『気が狂った』のではないかと思って呼び出しに来たのであろう。悪魔の恐るべき苦肉策である。

 聖母と称せられるマリヤでさえ悪魔はこれをうまく欺いて自分の手先に使おうとしたのである。この世の人情を利用して救世の事業を邪魔しようとしたのである。だからイエスのお答えもこれに相当している。決して肉親の者に冷淡であれと言われたのではない。むしろその正反対で、神を信ずることにおいて一致している者は四海皆同胞であると言われたのである。

 同胞主義を人種観念や国家観念の上に置かないで、信仰の上に置いたことは興味深く感ぜられる。しかもこの立場に立って再び兄弟や親戚を見る時に初めて依怙(えこ)ひいきに陥らず正しく彼らに対することができる。

祈祷

主イエスよ、願わくは私に隣人を愛する心をもって兄弟親戚を愛せしめ、兄弟を愛する心をもって隣人を愛することを得しめ、すべての愛をあなたの名によって実行することを得しめたまえ。アーメン

(『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著52頁より参考引用、題名は引用者が便宜的につけている。かつて藤本正高さんが小林儀八郎さんを東京からロンドンに送る際に惜別の辞を述べられたことを本ブログで紹介したことがある。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2019/02/blog-post_2.html)  今日のみことばの具体例であるが、青木氏がここで指摘することには今まで気づかなかった。つまりイエスさまは肉親の情を断ち切りなさいとのみ言っておられると受け取っていた。)

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