往く春や 白さも白し 花ありて |
考えてみると、イエス様は使徒の働きの以下の記述
イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。(使徒1:3)
によると、復活後四十日間、姿を現されたことがわかる。その伝にしたがい、今の時間に当てはめると、まだまだ主はご健在なのだ。なぜなら今日は十七日目だから。まだ復活後の生活は二十三日間続き、生きておられることになる。いよいよ、主の復活の意味をメリル・C・テニー氏の記述に従って考えていきたい。以下は五章「復活の効力」の序文である。
私たちのほとんどは、復活を、今ここに存在する現実とはおよそ無縁なある事、と考えている。それは、時の功で今では、美しいが現実的ではない、ほとんど伝説的になった遠い昔の一事件、または、現世という地平線のはるかかなたに想像することさえ容易に許さない、未来をひたすらに望ませる、一個の信仰箇条といった程度のものとされている。しかしほんとうは、キリストが、歴史の一点で、死人の中から復活されたということは、神が私たちの中で今日に至るまで及ぼし続けておられる力についての、人間に対する最もめざましい例証にほかならない。それは、形式においては、私たちの現在の経験を越えたものである。しかし、質においては、異なるものではない。客観的に表現するとすれば、私たちはそれを、次のようなものであると信じている。すなわち、それは、キリストの人格において立証された時間とともに変化することを特徴とするもので、キリストにあって死んだ者がよみがえるいつの日にか、再び現わされるものである。しかし、主観的に言えば、その力は、今ここで、ありふれた生活条件の中で、いくらでも手に入れることのできるものである。
※この本は私が1970年、洗礼を受ける前に、買い求めたもので、自分がどの程度理解したのか覚えていない。いや、理解できていなかった。それから程なくして結婚に導かれている。結婚相手は何よりも私の洗礼を願っていた。私の洗礼は、結婚条件を満たすための滑り込みセーフの洗礼であった。そういう意味では、このわずか91頁の小冊子(定価100円)は、当時の私がキリスト信仰について右も左もわからないまま、とにかく「真理」を飲み込んだ本である。ただし、この本は当時のキリスト者が信仰良書選のトップバッターとして出版したくらいだから、かなり信頼のおける本ではなかったかと思う。
神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて・・・。(新約聖書 エペソ人への手紙 1章19〜20節)
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