2024年4月7日日曜日

復活の事実(3)

新緑 蘇芳の蕾 赤添える
家を出るときというのは、とかく慌ただしい。今朝もその例に漏れなかった。しかしこの赤い小さな蕾は私の目を惹きつけて離さなかった。こんな小さな蕾が10粒も咲いているとは・・・。同行者の家内に名前を聞いてみる。「わからない」と答えが返ってきた。そんなはずはない、わからないはずはないと思いながらも、家から出た。

実は、その直前、郵便受けの下に顔を出している草花が気になって、家内に尋ねてみた。即座に「十二単(じゅうにひとえ)」と教えてくれた。まさに十二単にふさわしい装いで、昔の人は良くぞ名づけたりと感心していた。それにしても家内は草花の名前をよく知っている。そのたびに、家内の両親の存在を覚える。その家族が草花を愛で、それにちなむ童謡などを共に歌ったのではないか。それが八十に近くなっても残っているのだ。そこに行くと、私は皆目ダメである。幼い時に、田畑、野原を両親とともに歩んだ記憶がないせいかもしれない。

それはそうと、私には家内が冒頭の木と花を知らないはずはないと思い、外出から帰って、その木を前に、私なりに以前家内が言っていた名前を必死に思い出した。そして「蘇芳(すおう)」という名前まで引き出せた。早速、ネットで調べてみるとほぼその通りだったし、以前家内がそのように教えてくれたと確信した。

キリストの復活は事実である。その記録は文献としての聖書にある。そのことをメリル・C・テニー氏は以下のように語っている。細かくかつ必要な議論がなされているが、少しでも読みやすくするため、文意を損ねない程度に一部を省略し載せたつもりである。諒とせられたい。なお、最後の聖句は引用者が選んで載せた。


1 文献による記録

 ナザレのイエスの生涯に関して、いくらかでも、明らかに彼の業績を伝えてくれる記録としては、ただ、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる聖書の福音書があるだけである。(中略)これら四つの福音書は、キリスト教の最も早い時期に書かれたものと考えられており、第一世紀の終結以前に完成していたことに、疑いの余地はない。事実、おそらくそれらは、イエスを個人的に見た人々がまだ生きていたうちに著されたであろうと思われる。そして、最初それらを読んだ人々によって、信頼のおけるものとして、広く受け入れられていたのである。実際、その記述内容に、本質的に正確さを欠く点があるとは思えない。

 更に、イエスの生前の記述を見れば、それらが、古代の文学の多くの特徴である気まぐれな英雄崇拝的修飾から、目をみはらせるほど、全く解放されているということも明らかである。(中略)それらが最初、イエスを神として礼拝した人々の群れの中で執筆され使用されたという事実を考慮に入れるとき(略)、福音書が、イエスに対する追憶を、記録されているだけの奇跡にとどめ、より多くの奇跡で粉飾しなかったということは、驚くべきことである。記者たちは、解説とか解釈といったたぐいのものを、比較的少数にとどめている。と言うことは、彼らが、キリストの言葉や行為のあるものだけを伝えて、そこから読者が自分なりの結論を引き出すように配慮していたことを意味する。

 福音書は四書とも皆、この復活の事実を認めている。ささいな点に関して、詳細には不一致が認められるにしても、すべては、キリストが死なれたという偉大な事実においては一致が見られる。更に、彼が埋葬されたこと、三日目の朝墓が空虚になっていることが発見されたこと、その後彼が弟子たちに現われたもうたことについても、意見は一致している。これらの点に関して、彼らは同じ証言をしているのである。

 小さな不一致と言ったが、それらも、決して、証言が偽りであることを指摘するものではない。もし四人の証人が、それぞれ法廷に引き出されたとき、四人とも全く同じ話を、全く同じ言葉で語ったならば、判事は、証人たちが罪になる合議をたくらんだと思うであろうし、事実、そのような嫌疑は妥当である。どんな証人でも、ある特定の事件に対して、ふたり同じ証言をなしうるものではない。特に、彼らの神経が緊張を経験しており、自分たちが目撃したことによって本心から驚いているときには、そうである。

 あるとき、著者は修史学の教室に出ていた。ある日のこと、その教授が、一かかえの紙の山を教室に持ち込んで来て、皆に配った。そして言った。「今配った書類の束は、いろいろな歴史的事件の原典資料の写しです。きょうは、この中から、証人たちがなんと言っているかを見て、起こったとおりのことを書き出して下さい」。その一つの束には、五つの異なった、レキシントンとコンコードにおける戦闘(※)の記述があった。それらはあの1775年の4月19日の運命の衝突に参加していた見証人たちの日誌や書類に含まれていた記述である。どれを比べてみても、詳細においては、二つとして同じものはない。あるものなどは、その主張する事実と突き合わせてみると、全く正反対のことを言っているようにさえ見えるのである。この証人たちが完全に一致することができなかったということを理由に、実はこの場所ではこの戦闘は起こらなかったのだと結論することは正しいことであろうか。もちろんそれは、不条理なことである。それは実際に起こったことであり、わずかながらその証拠が、今日まで残っているからである。(中略)。

 復活に関しても同様である。詳細なある点を、一連の事件として、系列のわくの中に入れることは困難である。しかし、墓が空虚になっていたという意味深長な事実は、同志によっても、等しく確認されているのであり、また、その後、生きておられる主が現われたもうたということも、すべての文献が確証するものとして、否定することができないのである。

※アメリカ独立戦争における戦いを指す。

週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。はいってみると、主イエスのからだはなかった。そのため女たちが途方にくれていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着たふたりの人が、女たちの近くに来た。恐ろしくなって、地面に顔を伏せていると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人らの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえらなければならない、といわれたでしょう。」女たちはイエスのみことばを思い出した。(新約聖書 ルカの福音書24:1〜8)

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