旧彦根高等商業学校講堂 |
ところが、その確認が目的で出かけた序でに、足を伸ばした大学構内の様子をこれまた「私は迂闊にも大学から彦根城の天守閣が見えることを今の今まで知らなかった。」と書いたがほんとうにそうと言っていいのだろうか、とこれまた疑問に思いました。そして当時は今ほど「彦根城」に注目する時代でもなく、また大学構内の配置も変わり、見えなかったのかもしれない。同時に自分の特別な一身上の悩み・煩悶を抱えていたため、目で見ていても全く意識していなかったというのが真相なのかと思いました。
このような様々な悩みから救い出されたのが私のキリスト信仰でした。そして今回ご紹介しているメリル・C・テニーの『キリストの復活』は私が1970年1月18日から読み始めた本であることが裏表紙に書き留めていた日付からわかりました。この記録からすると、洗礼を受ける(70.3.30)前、結婚する(70.4.26)前、二、三ヶ月前に手に取って読み始めたようですが、内容はさっぱり覚えていません。いったいこんな難しい文章を理解できたのだろうかと自分でも思います。しかし、今になってやっと理解できるようになったので、転写してみようと思います。皆さんも、我慢して引き続きお読みくだされば、幸いです。言うまでもなく、前回まで引用しましたのは、その本の第4章 復活の自由 からの引用でしたが、「復活の事実」が証明されていなければ、「復活の自由」は絵に描いた餅に過ぎません。以下は同書の第1章 復活の事実 からの引用です。「復活の事実」について聖書がどのように証言しているかを一緒に追ってみましょう。
福音的なキリスト教信者であるならば、だれでも、どのような時代に生き、どのように特殊な教理を強調する教会に属していようと、普通、キリスト教信仰を持っていることを認められるためには、ある種の真理を告白することが不可欠であると考えられてきた。
人格的な自己啓示の神の存在、この神の御子の位格における受肉、このイエス・キリストが処女から生まれたもうたこと、そして、信ずる者に罪のゆるしを与えるために、カルバリの十字架上で身代わりの死を遂げられたこと、肉体をもって復活されたこと、昇天されたこと、勝利のうちに再び来られること、彼に対する信仰によって救いが与えられること、また、彼を信ずる者にとって、生活をきよく守ることが必要であることーーこれらの根本的な信仰は、アーチの礎石のように、キリスト教の名で通っている歴史的神学の上部構造をささえているものである。
ところが、一般の同意するところとなっている信仰のこの構造が、今日、非常な攻撃の的となっているのである。軍隊が戦線を、その主要地点を頑強に死守することによって、突破されないようにしているとすれば、私たちも、信仰の立場を強調することによって、その信仰を最もよく弁護することができるのである。そのためには、その主要な立場というものがどんなものであるかを、知らなければならない。それらの教えの中で、最も主要なものはなんであろうか。
私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと・・・・(新約聖書 1コリント15:3〜4)
この引用聖句は、キリスト教信仰の弁護のために書かれたものである。コリントの合理主義者たちは、超自然というようなことは不可能であると、口々に言っていた。彼らは、復活を否定しても、除かれるのはキリスト教信仰のこぶくらいなものだ、としか感じていなかった。そうすることが、実は、頸(けい)動脈を切開するにも等しいことであることを悟っていなかったのである。
私たちのキリスト教信仰で最も重要な教えは、すぐに共感を呼び起こす、神聖な神秘に包まれた処女降誕でもなく、また、神の愛とゆるしを荒れすさんだ世界にもたらした、あの血の流されたカルバリでのあがないでもない。それは、イエス・キリストが死の中から、肉体を携えて復活して来られたということである。復活なくして、処女降誕はどうして信ぜられよう。復活がなければ、望みもなく、死にのみ込まれたあの生物的奇跡を、一個の生命の起源として信ずる理由はないのである。同様に、復活なくしてあがないはない。あがないとしてのキリストの死の価値は、死なれたおかたの身分にかかっている。仮に、彼も他のすべての人間と同じく死に屈して、ついにそれに勝つことがなかったとすれば、彼の死は、殉教者とか英雄の死のたぐいと見られたであろう。しかし、それでは、その死が他の人々に救いをもたらすということは、全く不可能なのである。復活こそは、彼が他の人とは別な者であるということをきわだって見せ、また、彼の生涯のすべての事実にそれぞれの異なった価値を認めさせるものである。
※彦根には昔から測候所があり、寺田寅彦は、この気象台の情報をたよりに名随筆をあらわしています。寺田寅彦随筆集第二巻(岩波文庫)所収の「伊吹山の句について」がそれです。
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