2024年4月26日金曜日

復活と不屈の精神(1)

今日は記念日でした。それで、妻に「何の記念日だと思う」と聞いたところ、「わからない」と素直な答えが返ってきました。まあ、やむを得ないだろうなあーと思いました。その後、二人して妻のかかりつけの病院に出かけるため電車道を駅へと向かいました。久しぶりの駅道でしたが、途中線路際の舗装道路の隙間に花を見つけました。「すみれ(※)」でした。いつもこの数メートルの縁石の間に花を咲かせるので、決して珍しくはありませんが、妻が「すみれの花咲く頃」とハミングしてくれました。嬉しくなった私が、「なぜその歌詞を知っているの?」と聞くと、「宝塚の歌だ」と教えてくれました。記念日は、夜になって子どもたちが「おめでとう」とそれぞれLINEで寄越してくれました。この「記念日」は「すみれの花咲く頃だった」のですね。そんなロマンもなく、私にとってはただ一緒になれた喜びで一杯だった日でした。五十四年前のことです。老いが先行し、様々な不便が互いに生ずる今、そのことだけは忘れたくありません。

※ 「すみれ」について過去にもずいぶん書いていることに気づきました。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/04/blog-post_15.html
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2012/04/blog-post_17.html
まだまだありますので、上のはこ欄に「すみれ」と入力すると出てきますのでご関心のある方は覗いてみて下さい。

さて、新しい項目「復活と不屈の精神」は、全八章の章立ての中の第七章に相当するもので、第二章の「復活の予測」は飛ばしましたが、それを除くとあとは順番に写していますので、章としてはあと一章を残すものとなりました。メリル・C・テニー氏はこの標題で、パウロの例を通して、語ります。三回続きますし、今日の個所は訓詁学的なところもあり、理解するのにややこしいところがありますが、忍耐強くお読みくだされば感謝です。残り二回と合わせて、「ピリピ人への手紙」に表れているパウロの信仰の裏表を思う存分知らされたいものです。

どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3:11)

 復活の力が個人の生活にどのように現われるかを示すものとしては、新約聖書全体を通しても、このパウロの自伝の寸描を記録しているピリピ人への手紙三章にまさるものはない。その中で彼は、自分の前歴について、かなり多くのことを明らかにしている。彼は好戦的なベニヤミン族出身のユダヤ人であり、手紙を一読すると、戦闘的な血筋を誇りに思っていたことがわかる。彼の幼名は、イスラエル初代の王の名を採って、サウロと言った。サウル王もまた、ベニヤミン族の出である。彼は、すっかりギリシア文明に圧倒された地方に住んでいたにもかかわらず、先祖伝来のアラム語と、古来のヘブル人の習慣とを固守した、厳格なヘブライ主義的ユダヤ人の仲間になっていた。律法の解釈においては、儀式関係の法規の遵守に特別やかましかったパリサイ主義の伝統を擁立した。ユダヤ人の信仰に対する熱狂的な義務感から、彼は、エルサレム外の諸都市においても、教会に対する迫害の規模を拡大していった。最も驚くべき事は、彼が、完全な律法の義を自分に対して主張することができると言っていることである。その事は、「律法による義についてならば非難されるところのない者です」(ピリピ3:6)と言っているところから知られる。ところが、その彼が、ダマスコの途上でキリストに引き止められてからは、それらのすべてを失念してしまったのである。律法に対する情熱は、いまやキリストに対する情熱に置き換えられた。生誕、家系、宗教教育、教団での地位のすべてを、彼は損失と思うに至った。ユダヤ教の中で獲得しえたであろう特権や地位に対する願望を、キリストにおいて彼に与えられた新しい信仰のために、完全に否定してしまったのである。

 ピリピ人への手紙は、パウロが回心してから三十年ほどして書かれたものである。この間に彼は、長期にわたってさまざまの経験をした。シリアのアンテオケを起点として、南部アジア、マケドニア、ギリシアの伝道の開拓に当たった。キリスト教神学とキリスト教文学との基礎を据えた。ローマ帝国の議会や官憲たちの前でも、そのていねいな無関心さや刺すような冷笑をものともせず、キリストのための弁明を試みてきた。石打ち、あざけり、誤解、無視の試練にも耐えてきた。しかも彼は、神が彼の魂の中に植え付けられた不屈の精神によって、前進を停滞させることがなかったのである。その不屈の精神は、攻撃をはね返す耐久力であった。彼はまた、ただ一つの燃えさかる野心のゆえに、ひるみやためらいを感ずることは、決してなかった。その野心は、彼の前進を促す動力であった。「どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです」(ピリピ3:11)。彼は復活への見通しが自分の魂の中に生み出した希望のうちに、尽きぬ勇気の源を持っていたのである。

 この聖句は、ギリシア語では、非常に変わっていると言える。「ただどうにかして、死人の中から復活に達したいのです」。日本語では「中からの」とはっきり表現されているが、それは、ギリシア語の「の」を補強するために付加された訳である。そしてここでは確かに「の」だけでは不十分なのである。それは、たとえば、「わたしはそのケーキをいただきましょう」と言う場合のような、あるあいまいさを残すからである。この例の場合には、それは、そこに出されているケーキの中の一つを取ることか、幾つか出されているものの中からケーキを取ることかのどちらの意味をも持つことができる。ここのギリシア語の「の」も、そのあいまいさを持っているのであるが、パウロは、この例でなら前者の意味で、死人の中からの復活において、彼を他の人とは別な者とする復活を望んでいる、と言っているのである。

 言うまでもなく、この言葉は、彼が自分の救いを働きによって獲得しようとしている、と言うことを含意するものではない。彼はすぐ前で、自分は自分の義によってではなく、キリストの義によって救われることを求めた、と言っているからである。戦いが救いのためでないことは明白である。その点については、彼はすでに確信を持っている。それゆえ、ここでは報いのことを言っているのである。しかし復活は、報いと呼ばれるべきものであろうか。コリント人への第一の手紙15章22、51〜54節と、テサロニケ人への第一の手紙4章16節が教えていると思われるように、キリストにある者は究極においては皆復活するのであるとすれば、復活はどうして、よいわざの報いや不屈の精神をかきたてるものとなりうるのであろうか。もし、ある一つの学級の生徒が皆、あるほうびをもらうのだとすれば、それは成績に対する賞とは言えないであろう。

 聖書はこの問題に、一、二の個所で答えているように思える。ヘブル人への手紙11章35節には、迫害に耐えて忠実さを守り通した昔の聖徒について、こう書いてある、「女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました」。復活における程度の差が、ここには、苦難に対する報いとして設けられているように見える。この報いに対する見通しは、新しい契約の下にいるキリスト者に対してでなく、古い契約の下にいるヘブル人のキリスト者に対して与えられたものであった。しかし、もしこの手紙の読者に対して意味がなければ、このことが特記される理由はなかったであろうということは、言わずと知られるであろう。コリント人への第一の手紙15章23節は、各自が「おのおのにその順番が」あってよみがえると言っている。「順番」とは、どのようなものをさすのであろうか。順番は、ある人たちの席次の高さと優越性とを仮定している。テサロニケ人への第一の手紙4章16節は、「キリストにある死者が、まず初めによみがえり」と、彼らが、生存中の人よりは、少なくとも時間的にさきになると言っている。これらの聖句からすると、復活には、優越性や報いという点で段階があり、また、他の人より早くよみがえらされる人の中には、神への忠誠のゆえにさきに報いを与えられる人々が含まれていると考えることは、妥当なことであると思われる。

2 件のコメント:

  1. 「結婚記念日」(かな?)おめでとうございます!私は⚪︎⚪︎記念日といろいろ名付けてお祝いするのが好きです。楽しい方がいいですものね。

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  2. 「記念」は「記憶」と連動しています。たいせつにしたいです。コメントありがとうございました。

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