2024年4月8日月曜日

復活の事実(4)

雨上がり セキレイを追う 春散歩
何の変哲もない写真である。セキレイを撮影しようとして撮ったものである。被写体として最も撮りにくいものの一つである。苦労して収めてもこの程度である。ところが、昨晩のNHK『ダーウイン』ではたまたま「翡翠(カワセミ)」の特集をやっていた。みなさん一様にすごいカメラ(望遠レンズの)を手に撮影されている姿を見て、我がiPhone撮影は児戯にすぎないと思い知らされた。それにしてもセキレイは絶え間なく、人に近づくように見えて、「チチッチー」と鳴きながら遠ざかり、途端に飛んでいくかわいい鳥である。このようなセキレイがいたことは確かである。写真がそれを示す。果たして、イエスのよみがえりはどのようにして証明されるのだろうか。引き続いてメリル・C・テニー氏の主張に耳を傾けたい。

二 生ける証人による証言

 文献というものはいくらでも捏造することができるという反論がなされるならば、私たちは、もう一つの資料をさし示すことができる。それは生きた証人がいたという事実である。コリント人への第一の手紙十五章は、紀元54年、パウロによって書かれたものであるが、そこに私たちは、当時生きており、しかもパウロによるならば、復活の真実性をあかしすることのできる人々の名簿を持っている。(略)その個所によると、パウロは、五つの、人物および集団を証人としてあげうるものとしている。

 第一の人はケパである。この人物はペテロをさすものと思われている。ケパというのはアラム語名で、ペテロというのは、それに相当するギリシア語である。全使徒の中でもペテロは、イエスに最も身近なひとりであった。そのような者として、彼は確かに、イエスを彼と認知することができ、場合によっては、彼の欺まん的な演出を見抜くこともできたと思われる。パウロは、このケパにイエスは「現れ」たもうたのだと主張している。もしだれかが、イエスの死後、イエスのふりをして見せて、彼がよみがえったのだという幻想を創成させようとしたのなら、まさしく、この忠実な、彼と懇意な間柄にあった追従者が、その変ぼうを見破らずにはおかなかったであろう。しかし、そのようなことはなかった。このペテロは、その生涯と任務を、イエスはよみがえられたという事実にかけていた。そして、彼が「私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました」と言ったことが記録されているのである。(使徒10:41)

 第二の証人は、「十二人」の群れである。この「十二人」という用語は、正確な数をさすものではなく、おそらく、大ざっぱな集団をさすものであったろう。イスカリオテのユダは、主の復活後、彼らとともにいなかったからである。ひとりで証言するときには、まちがいがありうるかもしれないが、十一人で証言するときには、確かにその度合いは少なくなるであろう。仮に、彼らがキリストのよみがえりを期待していたならば、キリストがそうされなかったとしても、彼らが互いに感情を刺激し合って、彼はよみがえられたのだと考えるようになった、と仮定することができよう。そうだとすれば、復活は単なる希望的思考の所産にしかすぎなくなる。ところが、この集団に関する叙述の中には、彼らがほんとうにイエスのよみがえりを期待していたことを示すような暗示は、一つとしてないのである。十字架の刑に続く日々は、期待によってではなく、恐怖の感情によって支配されていた。しかも、イエスの現われは、この感を深めたのである。

 これらの人々が、突然その恐怖から解放され、おじけづいていた一団の仲間が、恐れを知らない説教者の哨兵隊に急遽変ぼうした事実は、その変化を生み出した何事かがそのとき、起こったということを、暗示するものである。

 第三の証人は、そのころ集まっていた五百人以上の兄弟たちの群れである。リンカーンはかつて、このようなことを言った、「人はある種の人を、いつまでもばかすことができるし、またあるときにはすべての人がばかされることもある。しかし人は、すべての人をいつまでもばかし続けることはできない」。五百人以上の人を同時にばかすような幻覚を創生させ、しかも、非常にうまくそれをやってのけて、二十五年のちにもなおその人たちに、イエスはよみがえられたと言うことのほうに分があると、進んで主張させることができたとしたら、そのこと自体がまさに奇跡と見なされるべきである。

 第四の証人は、ヤコブである。ヤコブは、主の兄弟であった。ヨハネによる福音書によると、彼も、他の主の兄弟たちも、主が公生涯の伝道に携わっておられたときには、彼を信じていなかったとある。私たちの友人は、忠実であってくれるかもしれない。しかし、彼らが私たちの人徳に対してする証言は、私たちの敵対者たちの証言に比べるなら、それほど信頼できるものではない。今友人が私たちに賛辞を与えてくれるとするなら、彼らの判断は、無意識のうちにその友情によってゆがめられているかもしれないのである。しかし、今私たちの敵が私たちを賞賛し、私たちの主張を認めてくれるとするなら、その証言は真実であるという可能性は、非常に濃いものであると言わなければならない。この手紙が書かれたとき、ヤコブは生存していた。それゆえ、イエスはよみがえられたと言う彼の証言は、彼が以前イエスの同志ではなく反対者であったという事実に照らして、より一層確固としたものだという感を深めてくれるものである。(中略)。

 最後の証人は、パウロ自身である。彼は、キリストが「月足らずに生まれた」者に対するように自分に現われたもうた、と主張している。この言及は、彼のダマスコ途上での経験に対するものであって、彼はそのとき回心したのである。このときこの人物に見られた、人生目的と性格上の唐突な変容は、適切な説明を要するものである。この、衆人にその才幹をうたわれていた、ガマリエルの青年門下生は、徹底的なユダヤ教の訓練を受けていたため、あのナザレ人の従者たちを、十字架で処刑された一ペテン師にかつがれた犠牲者とみなしていた。そして、神の御前の自分の立場ということに満足してなどいられるものかとばかりに、熱狂に駆り立てられて、自分に反対する者の絶滅を図るという極端さにまで暴走したのであった。そうであるなら、彼が、自ら根絶を誓ったその信仰に、不意に転向しているという事実は、いったいどのように説明されるべきであろうか。今彼の言葉をいくらかでも信用するとすれば、私たちは、この注目に値する心理的現象に関して彼が自ら下している説明を聞いて、よみがえりのキリストの顕現が、彼の中にこのような変化をつくり出したという事実を、認めなければならないのである。

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。(新約聖書 コリント人への手紙第一 15章5〜8節)

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