第7章「復活と不屈の精神」の最終部分です。今日はイースター後4週目に入る聖日です。二千年前を想起するなら、まだまだイエス様が復活後、ご自身の生きている姿を現わしておられる期間に当たります。
しかしながら、彼が忍ばなければならなかったのは、待つことだけではなかったのである。彼に対して競争意識を持っていたライバルの教師たちが、この間に、しだいにその地歩を占めていた。つまり、彼が監禁のうきめにあっている間に、彼らは、骨惜しみをせずに、パウロの回心者をせっせと自分の組に引き込んでいたのである。これはただ、自分たちの名声を求める手合いであった。
人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。(ピリピ1:15〜17)
他人が自分の作品を粉々にし、生涯をかけた成果を不純な宣伝文句でだいなしにするのを、黙ってすわらされたまま見ているのは、耐えられないことである。パウロがのちにテモテに書き送った手紙の中には、その苦しみの反響がしるされている。「アジヤにいる人々はみな、私を離れて行きました」(第二テモテ1:15)。彼の入獄中に、ある教会から失われていった人々は、パウロをもってしても、再び連れ戻すことは、ついにできなかったようである。それにもかかわらず、彼の喜びは、決しておおい隠されることがなかった。彼は最後の復活の日に、完全に恥がすすがれることを信じて、待つことができた。しかも、その報いに対する希望のゆえに、彼は、純不純を問わず、キリストが宣べ伝えられることを喜びとすることができたのである。
復活による不屈の精神は、失望と葛藤に悩む彼を、ささえ続けたのである。この手紙によると、パウロは更に、彼をねたむ兄弟たちが、彼をだしに、しかも彼がローマ帝国の政府によって不当な抑留生活をしいられているのをよいことにして弟子たちを集めていたことに対してと同時に、自分の内的な問題とも戦っていたことを暗示している。彼は、エパフロデトの病とともに彼に臨んだ「悲しみに悲しみ」(ピリピ2:25〜28)や、貧や飢えや乏しさ(4:12)、また、おそらく長びく獄中生活の緊張の結果と思われる内的葛藤についても、苦しさを訴えている。確かに投獄されてからは、以前と同じ強壮さを維持することができなかったであろう。強制された安逸と監禁の生活は、彼に法外な料金を要求したのである。しかも彼は、絶えざる微笑をもってそれに臨み、そのためにこの手紙は、キリスト者の喜びの書簡として知られるに至ったのである。彼は、すべての苦痛を、キリストの苦難にあずからせる特権として受け入れ、そこから、彼の復活の力を知る知識を得るに至ったのである。
挫折や、見かけの失敗、また懐疑や闘争の渦の中で、この復活の希望は、彼の不屈の精神の源であった。こうして彼は、走者がたいまつを掲げて走り、次の走者に渡すまで走り続けるように、いのちの言葉を保ち続けた。それは、「そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができ」(ピリピ2:16)るためである。彼は悪しき時には特に、永遠を誇る、そそり立つ高嶺に目を留めて動かさずにいた。現在の苦難を、復活の暁がもたらす栄光とは比べるに足りない。彼の使命達成の途上のつまらないできごととみなしていたのである。それゆえ彼は、済んだ事柄は喜んで忘れ、目当てを目ざしてたゆみなく進んだのである。
直接的な悪性の反対に対するより、一見たいしたことはないと思われる人生の挫折のほうが、普通は、より大いなる不屈の精神を必要とする。計画的な迫害は、当然予期しうることとして、それほど恐れるには足りない。イエスも助けを約束しておられる。助け手と考えられる人々のはりあい、自分が最も必要とされ、最も貢献しうると思えるときに、義務を果たす道を閉ざす、いわれのない投獄、また、ほかの人の必要のために心を集中させなければならないときに、魂を悩ます心痛や葛藤ーーこれらは私たちにとって最も耐えがたい事である。しかし、復活の希望は、このような問題に対しても勇気を与えてくれる。これらによって私たちは「キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかる」(ピリピ3:10)ことができるからである。
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